640キロのプルトニウムに「申告漏れ」が存在したという日本の重大な問題について、西側諸国の輿論は通り一遍の言及で済ませ、大事を小事とした。日本が実際には故意に申告していなかったのではという重大な嫌疑については、厳しく追及されなかった。仮にこのいわゆる「申告漏れ」が中国で生じていた場合、もしくは中国で日本の3年前の原発事故が発生した場合、西側の輿論は中国に対して雪崩のように批判を浴びせるだろう。
日本のプルトニウムの隠蔽は、アジア太平洋の核安全の核心に触れる問題だ。日本は高度に工業化された国であり、5000発の核弾頭を製造できる核燃料を保有している。日本にはさらに世界で最も先進的な大型コンピュータシステムがあり、核実験をシミュレートする能力を持つ。日本はこれらによって、ごく僅かな時間で米ロに次ぐ世界3位の核大国になることができる。この事実は、世界の核不拡散管理の最大の手落ちを形成している。
日本は核兵器による攻撃を受けた唯一の国だ。攻撃を仕掛けたのは、今日の同盟国であり保護者の米国だ。広島・長崎への原爆投下の記念活動は、半世紀以上にも渡る第二次世界大戦への「反省」を貫いている。日本の原発の重要性に対する認識、それに対する渇望は、その他の非核国よりも切実なものとなっている。
日本の右翼の復讐の願望は、半世紀以上に渡り抑えつけられてきたが、消えたわけではない。これは国が現在も敗戦国として扱われていることへの、日本社会の不満の中に潜んでおり、中国の台頭に対する不可解な憎悪の中にも潜んでいる。日本人が中国を憎む理由はないはずだ。近代に入ると日本は常に中国を侵略していたが、最終的に原爆を投下し、日本を軍事的に占領したのは米国だ。日本は米国を憎む度胸がなく、中国を憎しみの対象とし、今なお「正常な国」になれない憤りと絶望のはけ口にしている。
中国は日本の「潜在的な脅威」に過ぎない。両国は釣魚島(日 本名・尖閣諸島)という猫の額ほどの土地を巡り摩擦しており、中国の日本への政治的な影響力はごく僅かとなっている。日本の国家的な運命を左右できるのは米国だ。日本が再び一流の軍事強国になろうとするならば、越えなければならないのは米国という関門だ。