日本社会全体の歴史認識の混乱を反映し、盧溝橋事件に対する日本の歴史教科書の記載も、これをあっさりと軽く取り扱うか、右翼の視点を受け入れて中国側に責任を帰するかのどちらかになっている。
新華社の記者は、手元にある日本の中学校の歴史教科書2冊を比較した。まずは日本の公立学校で幅広く採用されている東京書籍の歴史教科書。盧溝橋事件についてはわずかな記述があるにすぎない。「日本は満州を占領後、中国北部への侵入を進めた。1937年7月7日、日中両軍は盧溝橋で武力衝突し、日中全面戦争の火蓋が切られた」(中国語からの訳)
もう1冊は、右翼勢力の編集による育鵬社の歴史教科書。侵略の歴史を美化しようとする日本の右翼勢力の意図を反映し、盧溝橋事件とその後の戦争拡大の責任が中国に押し付けられている。
「日本は義和団事件後、関連条約に基づき、北京周辺に5000人近くの部隊を駐屯させた。1937年7月、盧溝橋付近で日本軍への発砲を契機として交戦が始まった。日本政府はこれに対し、一方で不拡大の方針を取り、もう一方で増兵を決定した。この後、日本軍と国民政府軍はたびたび衝突するようになった。8月、日本軍将校1人が上海で殺害され、戦火は上海にまで広がった。日本政府はこのため、不拡大方針を撤回し、日本と中国は全面戦争に突入した」(中国語からの訳)。
注意すべきなのは、日本社会の右傾化の波の中で、もともと低かった育鵬社教科書の採択率が高まっていることだ。安倍政権は発足後、行政手段を利用し、各地の教育委員会に対し、育鵬社を初めとする右翼史観の教科書の普及を進めている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年7月8日