帰国後の戦犯らは、多くの圧力に直面したが、ほとんどが日中友好促進の隊列に加わった。1957年には東京で集会を開き、「中国帰還者連絡会」(略称「中帰連」)を設立した。同会は、「日中友好、反戦平和」を方針として日中友好平和運動を展開することを決定し、元第59師団長の中将だった藤田茂氏を会長に選出した。
日中友好の促進団体である中帰連は、ほかの平和団体とともに活動すると同時に、彼らにしかできない重要な活動も展開した。戦争の罪悪を自らの体験を通じて語ることである。中国で判決を受けた45人のほとんどを含む中帰連のメンバーは、自らの故郷で各平和反戦団体とともに集会を開き、戦争体験を語り、軍国主義の悪を批判し、戦争中の犯罪行為を明らかにした。こうした活動は「証言活動」と呼ばれた。
当時改造を受けた戦犯は千人余りにすぎなかったが、彼らは大きな力を生み出した。中帰連のメンバーが中国の法廷に提供した証言は、日本軍国主義の暴行を明らかにする動かぬ証拠である。日本の軍隊の中国における暴行を証言した彼らは、日本の右翼勢力と正面衝突することもしばしばあった。
メンバーの高齢化と相次ぐ死去により、中帰連は2002年に解散した。だが中帰連の精神は多くの日本人に影響を与え、戦犯改造の歴史を永遠に忘れないための「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」が設立された。「再生の大地」の合唱はこの「受け継ぐ会」の活動の一つである。
中帰連と「受け継ぐ会」の努力は、戦後の日中関係発展の一つの側面を示している。こうした成果をさらに伸ばし、日本国内の反省と反戦の声をさらに響かせることも、日中関係の発展にとって無視してはならない方向である。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年7月23日