諸説紛々としているが、これは本件に対する注目点の差、本件のような出来事の処理に対する戸惑いを反映した。本件そのものの性質については、何の異論も存在しないはずだ。「大日本帝国海軍」は典型的な軍国主義の象徴だ。日本は第二次世界大戦後、大日本帝国を称する権利を失い、海軍も保有せず、海上自衛隊しか保有していない。この男性の服装は、確かに不適切だ。特に日本では近年、軍国主義の魂を呼び戻す動きが活発化しており、中国人の感情を傷つけている。軍国主義の象徴がプリントされたTシャツを見せびらかせば、自ずと衆人の怒りを買うだろう。
服装が個人の自由であることは常識だが、個人の服装は完全に自由に選択できるわけではない。公共の秩序と一般の習俗に背いてはならず、政治・宗教のタブーを犯してはならないことは常識だ。極端なパフォーマンスでなければ、一般人の服装は社会の文化環境、審美感の成約を受ける。これも常識だ。これらの常識の遵守は、個人の教養にとってあるべき行為であり、成熟した社会の公民が持つべき認識でもある。服装は個人の自由であるから干渉すべきでないという主張は、全社会に常識を遵守させるため、まだまだ取り組みが必要なことを示している。
市民が不満を表現する権利を持つかという問題ではなく、いかに不満を表現すべきかが最も重要な問題になっている。客観的に見て、男性のTシャツを奪い取ることには、確かに人権侵害の疑いがある。市民は不適切な行為に意見を述べてもよいが、事実上の規制者になるべきではない。軍国主義のTシャツを着用し人々の感情を刺激すれば、統一的な判断の基準が生まれやすい。これは現場の市民に、男性のTシャツを奪い取る正当な権利を与えるように見えるが、この権利を自分に付与することはできない。
それでは、誰がこのような不適切な行為の規制者になるべきだろうか?道徳的な批判は一種の規制であるが、さらなる法執行は法律に委ねなければならない。残念ながら、軍国主義の象徴の着用に対しては、法的な規制が存在しない。現場の市民が代わりに「法を執行」したことは、これと関係しているのだろうか。
中国は第二次世界大戦の最大の被害国の一つであり、軍国主義の象徴の伝播を法で禁止するべきだ。ドイツには反ファシズム法が、フランスにはゲソ法が、オーストリアには制服禁止法、徽章禁止法があり、ロシアにも専門の法律が存在する。法制度によりこれを政治的なタブーにすれば、現場の市民ではなく法律に法執行を委ねることが可能で、これらの軍国主義を象徴する商品の生産と販売の規制の根拠となる。これは成熟した社会が、同様の事件に対して示すべき反応だ。
某メディアが行ったアンケート調査の、「中国は軍国主義の象徴を法で禁ずるべきか」という設問に対して、6000人弱の回答者の95%が「はい」を選択した。これは法制度による軍国主義の象徴の規制が、民意に合致することを意味している。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年9月9日