党内政治生活を厳粛にするには、貴ぶべきはそれを常にすること、真剣に行うことを重んじることであり、そのカナメは細かなことにある。党中央の権威は、全党は必ずすすんで守らなければならないし、そして自分の全活動の中で具現しなければならず、決してうわべで党の方針に従うと呼びながら、実際にはこれを念頭に置かなかったり、更に中央の国政方策に背いてそれぞれ勝手にふるまい、勝手気ままに行動してはならない。党内において組織と組織、個人、同志と同志、集団指導と個人の責任分担などの重要な関係はみな民主集中制の原則に基づいて設定し処理すべきであり、「欠位」(介入すべきのに、まだ介入していない)・「錯位」(職能が管理すべき範囲からずれている)、本末を転倒してはならない。党内政治生活と組織生活はあくまでも政治を重んじ、原則を重んじ、規則を重んじなければならず、うそっぱちをやってはいけないし、気の向くままにして、平淡化してはならない。娯楽化、俗化しては猶更いけない。党内の上下関係、人間関係、活動雰囲気は団結し、調和のとれた、純潔かつ健全で、正しい気風を発揚することを際立たせるべきであり、小グループや派閥を結んでは許さないし、利益集団をやったり、利益輸送をやっては許さない。
批判と自己批判は党内矛盾を解決する力強い武器であり、党の体の健全を保つ力強い武器でもある。明るい鏡を見れば、瑕疵が体に滞らず、率直な言葉を聞けば、過った行動が積み重ねない」。党内政治生活の質はかなりの程度はこの武器をどのように運用することにかかっている。批判と自己批判という武器を、われわれは大胆に使い、つねに使い、十分に使い、うまく使い、それを習慣となり、自覚するように、責任となるように、この武器を使えば使うほど効き目が出て、効果が出てくる。党内では積極的かつ健全な思想闘争を展開し、広範な党員、幹部を助けて是と非をはっきり認識し、真偽を見分け、真理を堅持し、誤まりを修正し、意志を統一させ、団結を増やす。党内政治生活を厳粛することはすべての党員、幹部の事であり、みんなは役割りを演じる意識と政治的責任の担当を強めなければならず、党の中にいて党の事業を語り、党のために憂慮し、党にいて党のためにつとめ、党に対する愛、憂慮、党の振興、党の擁護を生活のそれぞれの一環で実行し、思い切って様々な党内政治生活原則・制度に違反する現象と闘わなければならない。
第4、幹部を厳しく管理することを堅持する。党を厳しく治めるのは、幹部を厳しく管理するのが重要である。正しい政治路線は正しい組織路線に頼って保障されている。幹部は各方面の権力を掌握して、党の理論と路線・方針・政策の具体的な執行者で、もし幹部陣の資質が高くなく、方法がゆがんでいれば、その党建設はきちんとしたことがあり得ない。われわれの党員、幹部隊列が厖大なので、管理するのはかなり難しいが、必ずうまく管理しなければならなくて、うまく管理できなければ、混乱が生じてしまう。わが国は問題が起こるなら、主として共産党内に出て、わが党は問題が出るなら、主として幹部にある。党が幹部、特に高級幹部を育成するのは容易なことではない。こここ数年、一部の幹部、特には一部のかなりハイレベルの指導幹部が党の規律と国家の法律に違反して倒れてしまって、われわれはとても心を痛めている。われわれの中央の同志たちがこうした事に触れると、とても心を痛めて、みな何んとか当初改心したならばという感じであった。
幹部を厳しく管理するには、総じて言えば、理想と信念を固め、モラルの形成を強化し、権力運用を規範化させ、優れた作風を育成しなければならないこと。これによって各級の幹部は意識的に党規約から与える諸職責を履行し、厳格に党の原則と規則に則って事を運ぶようになる。幹部に対する厳しい標準での要求を堅持し、厳しい措置で幹部を管理し、厳しい紀律で幹部を制約し、そうすることによって幹部が畏れを念頭におき、言葉に戒めところがあり、行動に止めるところがある。一方では、状況の変化によって、幹部管理の規定を充実化させ、制約と激励をともに重んじ、どんなことができるか、どんなことをしてはならないかは、真にはっきりさせ、明らかにする。一方、幹部管理の諸規定を厳格に実行して、原則を重んじて、関係を重んじつのではなく、問題が発見すれば、注意すべきは注意し、教育すべきは教育し、処理すべきは処理してくれ、幹部に身近に折檻板があり、いつでも監督させられる感じである。特に最高責任者に対する監督、管理は重要中の重要とする。幹部の選抜、任用について厳しくチェックし、断固として「病気(不正や問題)を帯びて抜擢される」ことがないように防ぐ。ある幹部はそんなに多くの問題がある上、大衆がずっと前から絶えず反映しているのに、そこの党委員会と組織部門はみな知らないか、あるいは知っても大した事としていないし、これらの人たちを何度も、何度も重なって抜擢され、おかしなことではないか、この中の深刻な教訓は、各級党委員会と組織部門が一つのことから類推して多くのことを知るように努め、踏み込んで総括すべきである。
当面、いわゆる「官となすには容易なことではない」、「官となして不作為」という問題は社会の関心を引き起こして、深く突っ込んで分析して、まともに導いて、責任の追及を強化すべきである。党の幹部はすべて人民の公僕であり、自らそのポストにあり、その職責を果たすべき、廉潔かつ勤勉で、清廉であるとともに実務に励む。もし組織からの管理するが少し厳しくなったり、大衆の監督が少し多くなったりすれば、我慢できないと感じて、「官職を果たすには容易なことではない」と思うなら、それは境界が高くないし、責任を負わない表現である。この点は、広範な幹部にはっきりと説明べきである。われわれの身を処する一世、新たな官職に着任したら、気概があり、責任を担当する精神を持つべきであり、「官となして不作為」に対して恥と感じるべきで、厳しく批判すべきである。私は何度もつぎのように強調し、指導幹部が厳しく身を修め、厳しく権力を用い、厳しく自らを律し(三厳)、また計画を立てるには現実的に、事業を始めるには堅実に、身を処すには誠実に(三実)しなければならない。これらの要求は共産党員の最も基本的政治の品格と身を処する準則で、党員、幹部の身を修める本で、政治を行う道であり、事を成す必要である。われわれは今党員、幹部に対する要求が厳しくなったのか、というと、答えは否定である。多くの要求はとっくにあったし、しかも最も基本的な要求である。今の主な傾向が厳しくなったのではなく、寛大すぎ、手ぬるいことである。厳しくて度を過ぎる問題がありえない。