第1、党を厳格に治める責任を徹底する。党を治めるには、必ず党が党を管理し、党を治める意識を強めなければならず、党を管理、治める責任を徹底すべきである。歴史と現実は、特に今回の活動も、責任が明確ではなく、責任を徹底せず、責任を追及しなければ、党を厳格に治めることはできないとわれわれに教えてくれた。ここ数年の努力により、各級の党建設活動責任制を確立し、党委員会、書記、各関連部門がそれに力を入れ、上級が下級への取り組み、各級ごとの取り組みを徹底する党建設活動の枠組みが基本的で形成してい。しかし、各級党委員会、各部門党委員会(グループ)がすべて一心不乱に党建設に取り組んでいるかどうか、各級党委員会書記、各部門党委員会(グループ)書記がすべて党を厳しく治める書記になったのか、各級、各部門党委員会(グループ)の構成員がすべて分担した分野での党を厳しく治める責任を果たしたか、一部の地方と部門はまた満足に行ける解答を提供しにくいのである。
一部の指導幹部の目線では、党建設に取り組みのは発展に取り組むのと比べて、実質的内容がより少なく、治績が出にくくて、1年間数回の会議を開ければよいのだ、必ずしもそのように気にかけて力を入れる必要はないとの感じである。社会主義市場経済を発展する条件下で、党を厳しく治めることは両立し難しい選択に直面し、寛容し過ぎては抑止力がなく、ますます多く人がレッドラインを踏み越え、最後に法不責衆」(違反者が多ければ、法律も罰しようがない)。だが、厳し過ぎると人々を束縛して、活動の活力に影響を及ぼして、やろうとすることができなくなり、ひいては自分の得票数に悪影響をもたらすと思う一部の人がおり、こうした認識はいずれも正しくないのである。
各級・各部門党委員会(グループ)は必ず正しい治績観を確立すべきで、党の執政地位の強化という大局から問題を見て、党建設にしっかり取り組むことを最大の治績とすべきである。もしわが党が弱くなったり、散ったり、崩れたりすれば、その他の治績はまたなんの意味があるのか、各級党委員会が党を厳しく治める責任をしっかり受け持ち、着実に実行し、党建設活動と中心的活動を一緒に計画し、布石し、いっしょに審査し、戦線ごとに、すべての分野、すべての段階の党建設活動に具体に、踏み込んで取り組み、断固として「一方では力を入れるが、他方では力をぬく」ことを防ぐ。各級・各部門党組織責任者、特に党委員会(グループ)書記に対する審査は、まず党建設に取り組む実効果を見て、その他の党員・指導幹部活動に対する審査にもこの面のウェートを大きくしなければならない。
第2、思想面の党建設と制度による党管理の緊密な結合を堅持する。党の厳格な統治は教育に頼り、制度にも頼らなければならない。二者がソフトとハード両面から、同じ方向へと同時に力を出す。現在、比較的顕著な問題は政治思想教育活動を軽視することであり、制度を決めて万事めでたし、めでたしの規則があったと思って、ひいてはあるものはも真剣に入念な政治思想教育をすることができなくなるか、あまり慣れなくなり、あるものは組織が自分を呼びんで談話するのが余計な世話だと思っている。正にこうした単純化と一面性により、一部のもともと実行できる制度が実行できなくなり、一部のもともと避けられる問題が絶えず発生するようになった。
「木の長ずることを求める者は、必ず其の根を固めなければならず、水の遠く流れることを欲しがる者は、必ず其の源を浚わなければならない」。党員、幹部にとって、思想面の地滑りは最もひどい病理的変化で、「メーンスイッチ」はしっかり閉めなければ、公私関係を正しく処理することはできないし、正しい、是非の観念、信義と利益の観念、権力の観念、事業の観念に事欠き、様々な形の脱線・越境、財産の流失や原材料の浪費が避けられない。思想面でちょっと緩めば、行動にばらばらとなる。思想認識の問題は一時解決したとからいって、永遠に解決済みに等しくない。部屋がよく掃除する必要あるように、思想的なほこりはよく掃除しなければならないし、鏡はよく見て、衣冠を常に正し、ほこりがあったら入浴し、病に患うと治しなければならない。
思想教育は重点を際立せ、