あれから48年になる。羅栄基さんは毎年2月15日になると、シンガポール市街地の「日本占領時期死難人民記念碑」の前で涙を流す。
今年74歳の羅さんは白髪で、普段はにこやかで活気あふれる高齢者だ。しかしシンガポールが日本に占領された3年6ヶ月の日々を振り返ると、涙が止まらなくなり、話している間に何度も言葉に詰まるほどだった。
「父は日本兵が侵入してきた時に殺された」羅さんは言い終えぬうちに、子供のように泣き出した。
ここに戻ってくるたびに、古傷が痛む。羅さんが最も許せないのは、日本政府の歴史に対する態度だ。
羅さんは涙を拭いながら、小さな声で力強く、「日本人は今日も私たちに謝罪していない。私たちは許すことができない。日本はこれが歴史であることを認め、反省しなければならない」と言った。
羅さんは、「毎年家族を連れて追悼式に出席する。今日は妻、子供、孫を連れてきた。毎年ここに来てお祈りすることを覚えてもらいたい」と話した。
感情を高ぶらせ憤慨した羅さんと比べ、79歳の林永福さんは落ち着いた様子をしていた。
1942年2月15日、シンガポール海峡植民地政府は日本軍に無条件降伏し、シンガポールの歴史で最も暗い3年6ヶ月に渡る日本軍占領時代を迎えた。その日はちょうど、旧暦の1月1日だった。現地の華人が新年を祝おうとしていた時に、悪夢が訪れた。