火の海から逃れた時、勝本さんは12歳だった。新華網が伝えた。
アメリカ空軍は1945年3月10日にB-29を使い、東京の大規模な戦略的爆撃を行った。多くの工場と家屋が瞬時にして火の海と化し、その中には勝本さんの家も含まれた。熟睡していた彼女は父に起こされた。勝本さんはわけも分からぬまま家財道具を馬車にのせ、慌ただしく逃げ、生き延びることができた。勝本さんは、「あの時は走っているのか夢を見ているのか本当に分からなかった。(思い出すたびに)全身に鳥肌が立つ」と振り返った。
11日の夜明け前、勝本さんの一家は隅田川に逃れた。川は死体で埋まり、目も向けられないほど悲惨な状況だった。いつものように日が昇ったが、東京はかつての姿を失っていた。
3月のこの爆撃の他に、米軍は5月25日にも東京に再び集中爆撃を行った。2度の空襲で10万人弱の死亡者が出たが、その多くが女性と子供だった。
82歳になる勝本さんはこの痛ましい出来事を振り返り、苦渋をにじませた。勝本さんは、安倍晋三首相の一連の「右向け右」、歴史逆行の動きが、日本を戦争の古い道に導くことを懸念している。
【生存者が警鐘を鳴らす】