今年は中国人民抗日戦争・世界反ファシスト戦争勝利70周年だ。中国と国際社会は共に国際的な真理と正義、勝利の成果を守り、世界の平和的発展を促しており、侵略の歴史の評価を覆すことを決して許さない。『人民日報』は「歴史を心に刻み、平和擁護を」と題し、本日から3本の評論を続けて掲載する。(文:歩平・中国社会科学院近代史研究所学術委員会主任、中国抗日戦争史学会会長。人民日報掲載)
2015年は中国人民抗日戦争・世界反ファシスト戦争勝利の70周年に当たる。過去を省みる鍵となる今年、かつて日本軍国主義によって深刻な苦難を被ったアジアの国々は共に正義の声を発し、日本に歴史認識で責任ある態度を取るよう求めている。駐韓米国大使や米国務院スポークスマンも早くも今年初めには、1995年の村山富市首相(当時)の談話を継承するよう安倍晋三政権に望んでいることを公に意思表示している。
あの戦争の性質をどう認識すべきか、歴史からどう教訓をくみ取って未来に向き合うべきかを考えるに当たり、村山元首相の20年前の談話について考えることは特別な意義を持っている。
第2次世界大戦後、日本の侵略戦争発動と植民地支配推進の責任を追及することは、東アジアの国際政治の重要課題になった。同時に歴史問題を取り巻く戦後の日本社会のさまざまな論争も、東アジアひいては国際社会の政治に深く影響するようになった。日本の一般市民は戦後の極東国際軍事裁判を通じ、南京大虐殺を含めたアジアの戦場における日本軍の残虐行為を知り、また軍国主義を厳しく非難し、「戦争責任」を追及し、平和的な道を歩む方向性を確立した。
しかし、日本国内には侵略戦争の責任を認めようとしない政治勢力が終始存在していた。1980年代、日本が戦後の経済成長で巨大な成功を収めたのに伴い、「戦後政治の総決算」を求める保守思想が台頭してきた。1990年代半ばには、政界の一部で歴史の評価を覆そうとする傾向がますます深刻になった。100人を超す政治家が「歴史・検討委員会」を組織し、日本の起こした戦争を侵略戦争だとした1993年の細川護熙首相(当時)の発言を攻撃、非難した。また歴史を総括するとの名目で、原因・プロセス・結果などのさまざまな角度から日本軍国主義の侵略戦争の評価を覆そうとした。さらに1995年には、侵略戦争の責任を反省する「不戦決議」の国会通過を阻止しようとした。このほか、政治家に靖国神社参拝を呼びかけ、「従軍慰安婦」などの日本の戦争犯罪を否認した。これらの全ては戦後50周年に際し、日本社会に侵略戦争の反省を阻む強い逆流が現れたことをはっきりと示している。
果たして歴史の重荷に背を向け続けるのか、それとも誠実に歴史を反省し、道義的な重責を担い続けるのか? これは日本がどこへ向かうかを決定する重大な問題だ。1994年に就任した村山元首相は逆流に耐え、1995年8月15日に談話を発表した。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」