文=ラナ・ミッター
東南アジアの国際秩序が確立されていない大きな原因のひとつに歴史問題がある。戦後70年を迎え、その戦争をどう理解するのが正しいかについて中日両国民の間で見方が分かれている。何十年も前の戦争がなぜ現在のアジアを主導しているのだろうか。その原因を調べるとともに、戦後の「未完の事業」を再認識する必要がある。時代はアジア地域の変化を考えなければならなくなっている。
国際社会は中国の貢献を高く評価
状況は複雑であったが、結果ははっきりとしていた。アジアには共同で受け入れるメカニズムができず、NATOや欧州連合(EU)もできなかった。またワルシャワ条約機構や経済相互援助会議(コメコン)もできなかった。アセアンなどの機構にはNATOのような強力なしくみが欠如していた。1955年のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)の後に成立した非同盟諸国首脳会議は名目上の会議が行われるだけで実際の行動は何も伴わなかった。 米国との国交回復及び1972年の米ニクソン大統領が訪中以降、1970~80年の中国の役割は大きく変化した。しかし当時の北京の関心を持っていたのは国内問題であって国際問題ではなかった。
1989~1991年の冷戦の終結が、もうひとつの転換点である。そして21世紀に入り、アジア地域からの願望を背景に、中国はその視線を変革の能力を有している事件、すなわち第二次世界大戦に向けてきた。過去1年間、同大戦に関する中国の外交発言はますます顕著になってきた。2013年11月、中国のメディアはカイロ会談70周年を大きく報じた。同会議は蒋介石、ルーズベルト、チャーチルが平等の立場で参加した会議であった。
2014年6月には、日本の安倍晋三首相が軍事行動の制約を弱めるために憲法改正をしようとしていることに対し、中国政府は戦争当時の残虐な資料や写真を公開した。米国がアジアに駐留している合法的な根拠は、米国軍が大戦中に、アジアが日本から解放されるよう犠牲を払ったことである。中国がアジアで大きな影響力を発揮しようとする根拠は抗日戦争7年間の1400万人の犠牲である。もしこの犠牲がなかったら、中国とアジアのその他の地域は日本帝国主義の魔の手におちていたであろう。最近の西洋や中国の歴史学者は、以前の学者と比べてこの中国による大戦中のアジアのために行った貢献を評価している。(作者は英国オックスフォード大学中国研究センター主任、教授、著書に「中国、忘れられた友人、西洋人から見た抗日戦争全史」)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年4月8日