日本が再び「神風特攻隊」の世界記憶遺産登録申請に乗り出した。しかも今回の目的は、「戦争の熾烈さを人々に伝え、類似する悲劇の再演を防ぐ」だという。
このような登録申請は、実に馬鹿げている。
遺産とは先人が後世に伝える富・文化・精神のことだ。日本は神風特攻隊を持ち出し登録を申請しているが、物質を継承するためなのか精神を継承するためなのか、どのような歴史的元素を引き継ごうとしているのかが不明だ。
神風特攻隊の登録申請は、その歴史の美化・合理化には当たらず、人々に痛ましい出来事を記憶させるためだと、もっともらしく説明する人もいるかもしれない。日本は、特攻隊員の約1万4000点の遺物、「玉砕」「忠君」などと書かれた関連資料であれば、世界記憶遺産に登録申請し、人々に歴史を記憶させられると考えている。
「忠」とは「大義」を、つまり人類の福祉を対象とする。邪悪、恐怖、軍国主義に「忠」を誓うのは、是非を混同し、義と理をわきまえず、人道をないがしろにし、善悪を把握しない「大不義」である。これは道を踏み外し「大義」に背く、不純な精神だ。
神風特攻隊の歴史は記憶されても良く、また記憶されるべきだ。しかし記憶の対象となるのは、決して隊員の遺物や遺言ではない。ユネスコの世界記憶遺産リストには、『本草綱目』や『黄帝内経』といった、人類の健康に多大な貢献を成し遂げた大作、それから英国の13世紀の『マグナカルタ』、マルクスの『資本論』といった世界の社会の進歩を促した大作、それから『アンネの日記』のような戦争の残酷さを記録した本もある。登録申請者は申請の前に心を静め、これらの遺産を閲覧すれば、啓発を得て何かを感じることができるかもしれない。
日本には遺産がないわけではない。日本には平和憲法、村山談話がある。これらは日本人が継承すべき富である。登録申請するかしないかは重要ではないが、心の中に一つの判断基準を持つべきだ。残念ながら今日の日本の政治家は、玉と石を見分けられないようだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年5月15日