この地図と集められた日本の軍部の資料は、共産党が指導する抗日勢力が、中国を侵略した日本軍を強くけん制し、消耗させたことを十分に証明している。日本軍は中国共産党が率いる抗日勢力を、手強い敵としていた。
この写真は1938年3月上旬に日本軍が臨汾に侵攻した際に撮影された。場所は臨汾の抗日学生遊撃隊学校で、日本軍の兵士が正門の宣伝の文字に目を向けている。
日本軍の従軍記者が1939年10月に撮影した、佐瀬航空部隊の延安爆撃の写真。
写真は日本軍の従軍記者が撮影。日本軍の兵士が、わが軍の地雷によって裏返った自動車を見ている。
「日本軍はなぜ延安を爆撃せず、重慶ばかりを爆撃したのか?」これはネットユーザーが抗日について議論する際によく呈する疑問だ。
北碚区档案館(公文書館)の馮エン館長(エンは王に炎)は、「中国の抗戦の支柱――日本の公文書、共産党が指導する敵後方の抗戦を再現」をテーマとする記者会見で、「この疑問は明らかに不当だ」と述べた。馮館長は、日本軍による延安爆撃の写真を示した。これは国内で初めて公開された、日本軍による延安爆撃の写真だ。
北碚区档案館はさらに貴重な公文書を公開し、中国共産党が指導する敵後方の抗戦を再現した。「これらの貴重な公文書の史料は、いずれも初公開だ」
日本軍が延安を爆撃