村山富市元首相に聞く 隣国との和解で拓かれる未来

村山富市元首相に聞く 隣国との和解で拓かれる未来。

タグ: 村山富市

発信時間: 2015-07-22 11:12:16 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

20年前の1995年8月15日、当時の村山富市首相が戦後50年の節目に発表した「村山談話」は、日本にとってどんな意味を持つのか。安倍首相がこの8月に発表する「安倍談話」が「村山談話」の精神を継承するものとなるのか。中国、韓国をはじめ世界がこれに注目している。

日本の国会で安全保障法案が強行採決される直前、「憲法違反だ」との声が高まる中、村山氏がインタビューに応じ、「村山談話」成立の経緯やその後の推移などについて語った。そして村山氏の言葉からは、戦後の平和主義を守り抜くため平和憲法の堅持を、という強い願いがうかがえた。

――「村山談話」の実現には、非常に強い意志が必要だったと思いますが、そこに至るまでの困難を知らない人も多いと思われます。経緯についてお聞かせください。

村山富市元首相 日本は歴史的にも文化的にもアジアの一員であり、アジアから孤立した日本は存在しないと思います。とりわけ、一衣帯水の隣国である中国や韓国とは長い交流の歴史があり、日本文化の発展に決定的な影響を与えています。だからこそ、私の一番の願いは、韓国や中国などのアジアの国々から信頼される国際関係を築くことでした。

1994年の首相就任後、私はアジア諸国を訪問しました。当時の日本は世界的な経済大国になり、各国からの評価を得ていましたが、アジア各国の人々からは、「戦争への反省をしていない」という反感や、「再び軍事大国になって危険な道を踏み出すのでは」という危惧が感じられました。そこで連立政権をつくる際に自社さの三党合意で、過去の戦争に対する反省を示す「平和の決意」という提案を国会に提出しましたが、衆議院の決議は、修正の上反対欠席者も多かったものの、辛うじて決議されました。しかし参議院では議題にもなりませんでした。これではいけないと思い、政府としての見解をはっきり示すため、総理としての見解を談話として出す決意をし、もし閣議で決まらなければ総辞職をする決意でした。

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