「明治日本の産業革命遺産」の23施設が、今年7月に世界遺産に登録された。その中には長崎県で戦争の兵器を生産していた三菱造船所、通称「軍艦島」と呼ばれる端島炭坑が含まれる。この長く寂れていた町は、再び世界から注目を集めている。
長崎市の田上富久市長は先ほど、長崎の宝の世界の宝としての価値が認められたと述べた。しかし第二次大戦中、日本の炭鉱と造船所は政府に徴用され、武器の製造に協力し、労働者を強制的に働かせていた。戦争の罪の徹底的な反省などの前提が満たされぬまま世界遺産に登録されたことで、アジアの隣国はこれに侵略・拡張の歴史の「汚名をすすぐ」狙いがあると疑っている。
世界一の規模と呼べる三菱重工業長崎造船所は、同遺産のうち現在も使われている唯一の施設だ。記者は遺産内の、見学用の博物館に改築された「長崎造船所史料館」を見学した。館内の歴史の風景からは、歴史認識と歴史への態度を見て取ることができた。
2階建ての赤レンガの建物内には、1857年に造船所が稼働開始してから現在までの、造船所に関する150年以上の歴史ある資料が並べられていた。その中には戦艦建造に関する白黒写真、日本最古の工場用機械、復元された魚雷の模型などがあった。目立つ展示パネルには、「造船業は日本の生命線」と書かれていた。ガイドは見学者に対して、長崎造船所が日本の現代化の建設において担った役割を世界に伝えることが展示の目的と話した。