公共の場で赤ちゃんの泣き声が聞こえた場合、中国人は往々にして理解を示す。子供を育てるならば、誰にでも起こりうることだからだ。しかし日本では、これは母の無能と公衆道徳の欠如、人々に迷惑をかける「大事」として捉えられる。多くの日本の母親は顔を赤らめ、周囲の人に謝りながら事前に下車する。混雑する公共交通機関でベビーカーを使うならば、人々から批判される。
公の場において、ほとんどの日本人は注意深くなり、出来る限り静かにしようとする。これは日本人の生まれつき備わっている自制的な性格の他に、人々に迷惑をかけてはならないという意識が日本人の言行に深く影響を及ぼしているからだ。例えばバスや電車に乗車する際に、日本人は通話や大声での会話を避ける。
筆者はかつて、電車内でこのような光景を目にしたことがある。ある高齢者の男性が、「電話使用禁止」のシールが貼られている所で電話をかけようとした女性に憤ったのだ。女性は慌てて携帯電話をしまい、頭を下げて謝罪した。これは代表的な例で、圧倒的多数の日本人が「静かにする」ことへの畏怖を抱いていることを反映している。周囲の人の多くは違反者に対して、この「伝家の宝刀」を抜き容赦しようとしない。
この「厳しさ」は、公共の場の環境に良い影響を及ぼしているが、赤ちゃんに対してはやや冷酷だ。泣く赤ちゃんと場所を占めるベビーカーは、日本では歓迎されない。
日本民営鉄道協会は2014年に、駅構内と電車内の悪質な行為に関する調査を行ったことがある。「大声で騒ぐ」「勝手に席を占める」「乗車・下車の際に秩序とマナーを守らない」などが上位に入選した。不可解なことに、「ベビーカーを押して乗車する」がトップ10入りした。高齢者を敬い子供を愛する、これは社会で広く提唱されている美徳の一つであるはずだ。日本の母親は一人で子供の面倒を見ることが多く、ベビーカーは外出時の必需品だ。彼女たちは社会から配慮されるべき弱者であるはずだが、なぜ人々にとって「厄介な存在」となっているのだろうか?
調査結果には、他にも注目すべき現象が見られた。ベビーカーを押して電車に乗る行為を「迷惑」と考える男性の比率は16.5%で、女性の比率は30.2%だったのだ。まさか同じ母親に対して、少しの同情心もないというのだろうか?しかも女性のうち不満を持っている人の多くは、子育ての経験を持つ中高齢者だ。彼女たちの不満の理由は非常にシンプルで、その多くが「子供が泣いてうるさい」、「ベビーカーでつまずく」、「吊り革が持てなくなる」など。