日本の華字紙「新華僑報」の9月7日付論評記事によると、「ドラえもん」ほど深く人の心に入り込む漫画キャラクターは中国には存在しない。1991年、中国中央テレビ2チャンネルで「ドラえもん」が放映された。それまで中国で放映された日本のアニメは「鉄腕アトム」や「花の子ルンルン」、「一休さん」といったSF、冒険、歴史ものだけだった。
「ドラえもん」は、子供の視点からリアルな家庭風景や学校生活を描いた中国で初めてのアニメだった。家族を養うために毎日働く父親。頭の痛い宿題。恐怖のテスト……。シーンの1つ1つがとても身近で、まるで子供達自身の生活の記録のようだった。中国の子供が共鳴するのも当然なことだった。
「ドラえもん」が中国で放映された1990年代初頭、中国経済は急速な発展を遂げていたとはいえ、人々の間に広まる物質的欲望を満足させるにはまだまだの状況だった。「ドラえもん」が小学館の雑誌に登場したのは1969年。当時の日本は高度経済成長期にあった。GDPが世界第2位に上り詰めると同時に、物価の上昇や資源のひっ迫といった問題を抱えていた。「ドラえもん」が作られた当時の日本の背景は、ちょうど中国の観衆の時代環境と一致していた。中国の家庭の多くが、物質的な窮乏やつまらないものに対するこだわりに対し、きまりの悪い思いをしていた。そのため、のび太とドラえもんがどら焼きを分け合ったり、のび太の家庭が自分の家の環境を改善したりする風景を見るにつけ、リアルな共感を感じ取った。そこに時代の隔たりはなかった。
この作品において、のび太と静香は一人っ子だ。彼らは孤独の中で成長している。注目されたい、友達が欲しいと願っている。ドラえもんは、そんなのび太の願いの実現を手助けしている。小さな頃に戻り、すでに亡くなったおばあちゃんに会いに行く一幕は、視聴者の涙を誘わないではいられなかった。
両親が共に働く中国家庭において、親たちは一人っ子政策を必ず遵守しなければならない。同時に、仕事に追われて子供の面倒を見る時間もない。そのため、一人っ子は祖父母のそばで育つことになる。祖母の溺愛はしばしば過保護をもたらす。すると、子供たちの性格は臆病で内向的になっていく。未知の世界に直面すると、容易に自信を失い、挫折に遭い、簡単に諦めてしまう。一方で彼らは善良で温厚、親思いで情が深い。これらの性格的特徴は、のび太にも当てはまる。
1970年代末から80年代初頭に生まれた子供たちは、中国の一人っ子第一世代である。彼らは心の準備もなく孤独に成長してきた。「一人っ子」という新しい世代が出現する前、一人っ子のために作られた作品は存在しなかった。だからこそ、彼らは生活面での孤独を感じるだけでなく、精神面でさらに孤独だった。そんなとき、ちょうど「ドラえもん」が出現したのだ。彼らはのび太と静香の中に自分自身を見出した。その影響力たるや、並みのものではないだろう。ドラえもんが中国の子供たちにこれほど人気がある大きな理由だと思われる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年9月12日