最も首に刃を当てる機会を持つ人は床屋と言われる。またライバルこそ近くに置きけん制すべきだとも言われる。安倍晋三首相と石破茂地方創生相は、このような関係だ。
2012年9月の自民党総裁選、すなわち第一次「石破の乱」の前日、週刊文春は石破氏の当選を予想し、見出しの中で「次期首相」と呼んでいた。朝日新聞が実施した次期首相に関する世論調査の結果を見ても、石破氏の人気が最も高く、安倍首相は3位に留まっていた。
選挙結果は安倍首相こそが本命だったことを証明したが、週刊誌や日本国民は見る目が無いわけではなかった。自民党総裁選の第1ラウンドと呼ぶべき地方票では、石破氏の得票数は安倍首相を大幅に上回っていた。しかし党内中枢の基盤が脆く、首相の玉座にあと一歩届かなかった。
外敵に当たるにはまず内部を安定させなければならない。安倍首相は再任を果たすと石破氏をコントロールするため、何度も入閣を勧め、防衛相兼安保担当相という破格の待遇を示した。
一挙に首相の玉座に上り詰めることができず、石破氏は最終的に党内の圧力に屈して入閣した。しかし「あと一歩」は、石破氏に大きな自信を与えた。石破氏は仲間作りを始め、人材を集めた。さらに派閥政治反対というスローガンを掲げ、無派閥の「さわらび会」を発足した。当初の会員数は96人に達し、自民党内で最大の議員連盟となった。
脅威を感じた安倍首相は人数で石破氏を上回るため、新議員を受け入れないという従来の方針を変更し、自ら発足した議員連盟の創生「日本」に50人以上の議員を急遽補充した。