日本メディアによる「中国人客は民度が低い」という報道には終わりがない。この喧騒のなか、このような光景を見たことがあると感じている人も少なくない。
フリージャーナリストの中島恵氏は日本メディアの寄稿文の中で、中国人による「爆買い」について昨年調査した際に、「日本人も以前は欧米や香港で爆買いしていた」「日本人のマナーも昔は非常に悪かった。良くなってきたのは最近の15年ほどだ」といった話を耳にしたと指摘した。
中島氏は当時の状況を知るため、東京都の有名な図書館で調査を行った。高度経済成長後の1970年代後半、豊かな日本人はフランス、香港、ハワイに買い物に行ったという。中島氏は当時のメディアの報道を列挙し、「30年前の日本人と、日本で報じられている中国人の爆買いはほぼ同様だ」と締めくくった。
環球時報の調べによると、日本は1964年の東京五輪開催後に出国の規制を解除したが、70年代後半になり為替相場の変動が生じ、旅行ツアーが組まれるようになり、ようやく便利に出国できるようになった。80年代になると海外旅行する日本人の数が激増した。日本の「爆買いツアー客」の中心となったのは、農家だ。彼らが所属する農業協同組合(農協)は最も早く海外旅行を計画し、海外旅行を続けた組織だからだ。日本は戦後、小作制度を廃止し、農家が地主になった。そのため農家は普通のサラリーマンよりも豊かだった。トランクに現金を詰めた日本人は、高級洋酒、タバコ、香水、宝石、腕時計などを買い漁った。
香川県の農家の高山さん(68)は、農協の「海外爆買い」の一員だった。高山さんは環球時報の記者に対して、「今振り返ると、欧州を旅行した時に、多くの恥ずかしいことをした。日本人は酒を好むが、機内で酔っぱらい大声で話をし、下ネタを口にすることもあった。さらに酒に酔った勢いでスチュワーデスにセクハラする人もいた。レストランではナイフとフォークが使いにくく、箸を持って来いと叫んでいた。ホテルではベッドに慣れず、布団を床に敷いて寝た。パジャマを着たままホテル内をうろつく人もいた」と話した。
吉村さん(54)は当時欧州で買い漁った「偉大なる戦績」を振り返り、話が止まらなくなった。「あれは1984年のことで、社員旅行でフランスを訪問した。当時の日本人はパリの高級品店に殺到し、破裂しそうなほどだった。カウンターにはさまざまなデザインのバッグが並べられていた。人々はカウンターの前に押し寄せ、選んでは試着をし、まるで百貨店の処分品を奪うようだった。私は店内の欧米人の客が目を丸くしていたのを覚えている。私はフランス語が分からないが、フランス人からあまり歓迎されていないと感じた。帰国してから日本メディアの報道を見て、フランス人が私たちのことを黄色いイナゴと呼んでいることを知った」
高山さんは、「日本人は民度が低いと言えないと思う。当時は出国の機会が非常に少なく、東洋と西洋の交流ルートもスムーズではなかった。私たちはわざとやっていたわけではない。そのため現在、訪日する中国人と韓国人の民度が低いと耳にしても、私は同意できない。確かに文化の差が存在している。これは当時の日本人と似ており、歴史が再演されているような感覚がある」と語った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年2月4日