ロシアのプーチン大統領は5日、杭州G20サミットの記者会見で、南千島群島問題に関して妥協を達成する可能性があると語った。この問題を考えるには、ソ連と日本が1956年に署名した合意が南千島群島のうちの2島を日本に返還することを規定していたことが起点となる。
安倍晋三首相は、東方経済フォーラムでの発言で、両国関係で協調しようとプーチン大統領に呼びかけた。安倍首相は、「この70年続いた異常な事態に終止符を打ち、次の70年の日露の新たな時代を共に切り開いていこう」と語った。
第2次大戦が終結して日本が降伏文書に署名した後、日露が1855年に締結した条約に基いて日本に帰属していた「北方四島」、すなわち択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島はソ連に組み入れられた。日本は、「北方四島」に対するソ連の主権の承認を拒絶した。双方はこのために平和条約を長期にわたって締結できずにいた。ソ日両国は1956年、外交関係を回復し、平和条約の締結をはかることを共同宣言で示した。共同宣言は、両国による平和条約の締結後、歯舞と色丹の両島を日本に返還することを規定したものだった。
プーチンがG20サミットで話題としたのはまさにこの文書である。プーチン大統領が強調したところによると、日本国会両院は1956年にこの条約を批准したものの、日本側は条約の履行を拒んだ。1960年1月に日本政府に宛てた書簡の中で、ソ連代表は、関連する島嶼の引き渡しに同意したものの、ソ連が期待を託した国家は、米軍が日本に半永久的に駐留することの平和的な意図に疑念を持っているとした。これに日本政府は反発し、ソ連と宣言を締結した時、外国の軍隊はすでに日本に駐留していたと主張した。このスキャンダルの後、日本側は、「すべての島嶼の返還を求めるという立場で一歩も譲らない」とし、双方の対話は中断された。
日本社会では長年にわたって、南千島群島の帰属問題について絶対的な共通認識が形成されている。1990年代に日方との交渉に参加したロシアの日本問題専門家で前外務次官のゲオルギー・クナーゼ氏は、双方が自らの立場を変えようとしない中、南千島群島問題の解決の難度は高いと語った。さらに「これらの島の開発度を高いレベルに引き上げるには、数十億ドルに及ぶ投入が必要となる。日本にはその資金はないが、これは国家の威信の問題だ」と付け足した。