南京大虐殺記念館館長「日本人の歴史観の変化に不安を感じる」

南京大虐殺記念館館長「日本人の歴史観の変化に不安を感じる」。 2016年12月初め、私は、日中協会や日本中国友好協会などの民間友好団体の招きを受け、日本の11都市を歴訪したが、その間、日本右翼勢力による嫌がらせに2回にわたって遭遇した。今回の日本への旅では、警戒を覚えることはあっても危険に遭うことまではなかった…

タグ: 南京大虐殺 右翼 歴史 警戒 危険

発信時間: 2017-01-06 17:04:52 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

2016年12月初め、私は、日中協会や日本中国友好協会などの民間友好団体の招きを受け、日本の11都市を歴訪したが、その間、日本右翼勢力による嫌がらせに2回にわたって遭遇した。今回の日本への旅では、警戒を覚えることはあっても危険に遭うことまではなかった。だが私の見るところ、日本社会における歴史に対する態度には現在、不安を感じる変化が起こっている。

1994年に私が日本を訪れ始めてから、出入国はこれまで常にスムーズだった。だが今回は意外なことに、福岡空港で何人かの税関職員に足止めされ、2時間以上にわたって質問を受けた。私にとっては初めてのトラブルだ。

滑り出しからつまずいたものの、結局は、入国を阻止されることはなく、熊本から長崎、福岡、広島、岡山、京都、大阪、神戸まで8都市での交流はスムーズに進み、講演活動は万事順調だった。『朝日新聞』と『毎日新聞』の記者はこの間、講演会場を取材に訪れ、活動に対するポジティブな評価と客観的な報道を行った。だが名古屋市に着いて初めて、右翼勢力の嫌がらせに遭遇することとなった。

12月12日、新幹線に乗って神戸から東海地方の愛知県的名古屋市に着くと、駅まで迎えに来た現地の活動の責任者の平山良平氏に、「右翼勢力がネットに情報を流し、今晩の活動に乗り込み、議論のために会場に3人を送り込むと予告している」と知らされた。

名古屋市での活動は、夜に行われた。この日の夜は例年、記念館にとどまって、南京大虐殺で犠牲となった30万人以上の同胞の慰霊のために夜を徹する。だが今年は、南京大虐殺を指揮した主犯であり、華中方面軍の司令官であった松井石根の故郷の名古屋市で過ごすことになり、日本の右翼勢力と舌戦を交わすこととなった。これも運命というものだろう。

午後6時30分、名古屋市女性会館の外には、右翼勢力がやはり、街宣車3台でやってきた。右翼分子9人が代わる代わるスピーカーでがなりたて、「南京大虐殺は中国人の捏造だ」などのプラカードを立てている。会場には右翼勢力の3人の代表がまぎれこんだ。南京大虐殺についての90分の講演を終えると、3人は会場内で、激しい議論を始めた。だが理屈は破綻して、突きつけてくる質問も笑ってしまうようなものだった。南京の人口は当時、20万人に満たなかったはずだが、なぜ30万人が殺されるのだといった質問だ。南京の当時の面積は今の名古屋よりも狭く、5平方キロに満たなかったのに、それほど大規模な殺戮が起こるものかと突き上げてくる。彼らが主張する理由はしかし、論点のすり替えというものである。当時の南京の国際安全区の人口を当時の南京市全体の人口と考え、安全区の面積を南京市全体の面積とみなしているのである。笑ってしまうような幼稚な質問ばかりで、議論に耐え得るものでは到底なかった。会議の組織者の平山良平氏と老華僑の林伯耀氏はすぐさまこの右翼分子に反論した。会場にいた日本人参加者の多くも、右翼分子の発言に苦笑し、批判の声を上げた。私も史実で反論した。しかし右翼分子は活動が終わるまでしぶとく残っていた。小学校教員で中日韓の共通教科書の編纂にもかかわった小野政美氏が、右翼分子のそばに自ら座って、過激な行動に出た場合にはすぐに対処しようと警戒態勢を張ってくれた。彼のそばにはジョセフ・エサティエ氏の姿もあった。日本で22年にわたって暮らすこの米国人は、名古屋工業大学で長期にわたって日本文学を教え、国際平和運動にも参加している。エサティエ氏も右翼分子の言動には失笑していた。

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