南京大虐殺記念館館長「日本人の歴史観の変化に不安を感じる」

南京大虐殺記念館館長「日本人の歴史観の変化に不安を感じる」。 2016年12月初め、私は、日中協会や日本中国友好協会などの民間友好団体の招きを受け、日本の11都市を歴訪したが、その間、日本右翼勢力による嫌がらせに2回にわたって遭遇した。今回の日本への旅では、警戒を覚えることはあっても危険に遭うことまではなかった…

タグ: 南京大虐殺 右翼 歴史 警戒 危険

発信時間: 2017-01-06 17:04:52 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

15日夜には、東京の在日本韓国YMCA9階のホールで、今回の日本での最後の南京大虐殺史についての報告会が行われた。

集会開始の6時半からまだ1時間あるうちから、東京の警察は早々とここにやって来て、警戒措置を取り始めた。右翼勢力のネット上でのあおりによって、この日は名古屋よりもひどい混乱が予想された。会場にいる私にとってはつらい日になるだろうと思った。幸いこの場所はその立地から、警察が四方の道を封鎖しやすく、右翼勢力の大型車は入ってくることができない。彼らは小さな車でやってくるほかない。彼らは公共の道を占拠することはできても、韓国YMCAは私人の場所であることから、内部に侵入することはできない。さもなければ通報され、排除または逮捕されることとなる。

開場から30分ほどになって、右翼勢力の関係者がやって来た。彼らは、会場ビルの正門に面した道の向かいの小さな一角に陣取って、日本の太陽旗と戦前の海軍旗を差して、スローガンを書いた小さなボードを掲げ、スピーカーも置き、カメラもおいて中継と撮影をしようと待ち構えている。隣にはパトカーが停まって、警光灯がまたたいて、右翼分子らに程度を守れと警告しているようである。私に付き添っていた通訳の朱弘は、この人たちは怖くなどないから、一緒に記念撮影して資料にすればいいと言っている。

6時30分、集会が正式に始まった。田中宏教授がまず発言し、今日の集会について紹介し、私が今回行った日本各地の集会の状況についても説明した。その後、南京大虐殺の生き残りとなった侯占清さんと石秀英さんの証言映像を放映し、最後に私が75分講演した。私は、当時の南京の人口の面積について話し、南京大虐殺の犠牲者30万人という数字の由来と根拠について話した。犠牲者の国家追悼式の開催や世界記憶遺産への申請の意義についても話し、名古屋の右翼勢力によって出された観点は反論にも値しないと述べた。おもしろかったのは、会場を荒らそうと待ち構えていた右翼分子らが、会場の大きな圧力の下、声を出すこともできず、ネットであおっていたことはまったく実現できなかったということだ。東京の「ノーモア南京の会」代表の木野村間一郎氏や、「女たちの戦争と平和資料館」の池田恵理子館長などの組織者はこれを高く評価し、今晩の集会は成功を収め、右翼勢力の勝手な振る舞いを止めたと喜んだ。

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