1960−70年代の高度経済成長により、日本の家庭の可処分所得が急増し、高等教育を受けたいという人々の願いが強まった。その一方で、経済的に余裕の出てきた保護者は、激しい競争により生まれた受験戦争を疑問視した。高度経済成長に教育はいかに適応するかという問題をめぐり、日本社会は多くの議論を行ってきた。学業の負担軽減、大学の入試改革の呼び声は、政治の重要な問題にさえなっている。
生活条件が大幅に改善されたのに、私たちの子供はなぜ苦労して勉強しなければならないのだろうか。学生の学習の負担が重すぎ、不満一色となった世論のムードを受け、文部省は1976年12月18日に、「小学校、中学校及び高等学校の教育課程の基準の改善について(答申)」を発表し、「ゆとりのあるしかも充実した学校生活を実現するため、各教科の指導内容を大幅に精選する」とした。この答申は、子供の学業の圧力を和らげたいという国民の訴えに沿う内容であり、有名な「ゆとり教育」の象徴、その後の30年間に渡る義務教育の方針となった。
「ゆとり教育」という方針下の30年に渡り、政府と各地方自治体の教育主管部門は、一連の制度を打ち出した。しかしこの直接引き算をする手段が実際に効果を発揮せず、副作用を生んだことが問題になった。
ゆとり教育の3つの副作用
公立が痩せ、私立が肥える
ゆとり教育は公立の教育部門しか制限できず、国民の進学の需要と競争には変化が生じなかった。より競争力の高い教育を求めようと、私立に流れたことが容易に想像できる。本来は教育資源の面で有利だった公立校は、ゆとりある最低限の教育しか提供せず、レベルの高い進学先を目指す学生に、質の高い教育を提供できなくなった。一流大学を目指すほぼすべての中高生が私立を選んだ。こうして進学に積極的な学生を失った公立校からは、質の高い教員が流出した。1960−2005年に東京大学に合格したトップ20の進学校を例とすると、私立高校と公立高校の栄枯盛衰を目にすることができる。日本の私立校の教育費は、公立校の2−3倍だ。
一流大学に合格するためには、私立校に通うだけでは不十分で、塾に通って受験対策をする必要がある。これは日本の家庭のほぼ一般常識となっている。文部省の公式調査によると、日本全国の中学生の塾通いの割合は、1976年は38.0%、1985年は44.5%、1993年は59.5%と上昇している。小学生も12.0%、16.5%、23.6%と上昇傾向を示している。
数十年に渡り、塾産業が高度発展した。市場の競争と合併により、首都圏では有名な「四大塾」が形成された。この四大塾が、産業を支配している。誰もが入ろうとするため、四大塾は高い入学ハードルを設け、さらに高額の学費を集めている。多くの保護者は、家庭内で十分に予習しておかなければ、レベルの高い塾にさえ入れないことに気づいた。中高で良き塾に通わなければ、良き大学には入れない。誰が国のために人材を集めているのだろうか。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年4月13日