「日本のほとんどの新聞社は、時代の流れに乗り、電子化も進めているものの、対応が遅れており、新旧のメディア戦において劣勢に立たされている。新聞社は依然として『紙』が中心で、ニュースサイトの内容も紙と同じ。内容も、形式も新メディアの読者のニーズを考慮に入れておらず、紙の新聞の購読者にしか電子版を提供していない新聞社も多い」との指摘もある。
社長室の南康祐と青井が似たような議論をする。南康祐が、「ちゃんと現場に行って、命がけで正確な情報をとってきてるのは新聞記者。紙の新聞がなくなったら、人はいったいどの情報を信頼すればいいのか」と訴えるものの、青井の考えは全く異なり、「大事なのは、必死で取ってきた真実をいかに早く届けるかだ。いずれは、すべての新聞が紙からネットへ移行するんだ。ネットのスピードと拡散力には、もはや誰もかなわない。今や紙かネットかなんて関係ないんじゃないのか?紙の新聞だけが真実を伝えられるなんていうのは奢りだ!歴史にあぐらをかいた組織は必ず崩壊する」と熱弁する。
二人とも切羽詰まった状況であること、紙からネットへの移行も必然の流れであることを理解している。「新聞社は依然として紙の新聞にこだわっているが、新メディアの分野に移行する決断をしなければならない。でなければ、将来世代交代する時に、新興メディアがニュース報道において、完全に紙の新聞に取って代わる可能性が高い」という声もある。しかし、新聞販売店から各購買者の家にポスティングするというシステムを確立し大きく成長してきた紙メディア帝国・日本の新聞社が、ネットへ移行するというあまりに大きな決断をするのは、決して簡単なことではない。
「社長室の冬」は「全員が敗者」というまさかの結末を迎える。紙の新聞は最終的には消え去り、時代の流れに沿った舵取りをするのが唯一の生き残る道であるということを、多くの人が認めるものの、多くの反対勢力に阻まれ、「日本新報」の買収は結局実現しない。新報はテレビ局と提携し、危機を乗り越えようとするものの、その提携話も実現しない。メディアを操作しようとする人物は消え去り、新聞社の新聞発行による収益も右肩下がりとなり、大規模なリストラも避けられない。
「社長室の冬」が描いているのは日本の紙メディアのドラマであるものの、世界の紙メディアが直面している難しい選択を反映していると言える。これは、少し重い話題かもしれないが、残酷な現実と必ず向かい合わなければならない。紙メディアの春はまだ到来しておらず、各方面の責任は重大で前途は遠い状況にある。(編集KN)
「人民網日本語版」2017年6月16日