慰安婦ドキュメンタリー映画『二十二』公開 郭柯監督インタビュー

慰安婦ドキュメンタリー映画『二十二』公開 郭柯監督インタビュー。公開資料によると、生き残った「慰安婦」は2012年までに32人を残すだけとなった。2014年のドキュメンタリー『二十二』の撮影開始までに生存者は22人となった。この作品の名前はこの数字から命名された…

タグ:慰安婦 旧日本軍 ドキュメンタリー 郭柯

発信時間:2017-08-16 10:46:18 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

1932年から1945年までの間に、中国で旧日本軍によって「慰安婦」として強制徴用された女性は少なくとも20万人にのぼるとされる。

公開資料によると、生き残った「慰安婦」は2012年までに32人を残すだけとなった。2014年のドキュメンタリー『二十二』の撮影開始までに生存者は22人となった。この作品の名前はこの数字から命名された。

彼らの名前は、湖北省の毛銀梅、広西自治区の何玉珍と韋紹蘭、黒竜江省の李鳳云、山西省の張先兔と李秀梅、劉改連、趙蘭英、任蘭娥、 ●菊香(●は赤へんにおおざと)、駢煥英、李愛連、曹黒毛、劉風孩、海南省の符桂英と林愛蘭、符美菊、王志鳳、李美金、陳連村、陳亜扁、黄有良である(敬称略)。

『二十二』は14日、大陸部で正式に公開となった。映画公開の2日前には、日本政府を相手に訴訟を起こした海南省の最後の「慰安婦」被害者の黄有良が亡くなった。『二十二』上映当日までに、生き残った「慰安婦」はわずか8人となった。彼女らの多くは90歳の高齢に達し、貧窮と孤独の生活の中で生命の最後の時を待つ人もいる。

私たちは「慰安婦」という言葉は知っており、歴史の本から日本の侵略者が慰安所で犯した獣行について知識を持ってはいるが、生き残った「慰安婦」らがいかに余生を送って来たかにはなかなか目がいかない。特殊な題材を扱い、メインストリームの商業映画とは無縁のドキュメンタリー作品である『二十二』は、撮影技術に粗い所も見受けられる。しかし恨みをことさらにあおることのない、素朴で穏やかな態度には、見る人の感動を呼び起こす力がある。

新京報記者は、『二十二』の郭柯監督を単独インタビューし、この特殊な題材のドキュメンタリー映画が、公開の予定のない短編作品から、さまざまな経過をたどって、飾りげのない真摯な情感と撮影手法で観衆の目に触れることになったかを聞いた。

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