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疑問の声に答える
『二十二』はここ2年で何度も上映されて来た。作品を気に入った人もいたが、気に入らなかった人の中には、このような題材は老人が受けた苦しみを消費するものではないかと問いかける人もいた。郭柯監督は新京報記者にこうした疑問に対しても自分の考えを語った。
「彼女らは常に『慰安婦』と呼ばれてきた。だがこのような呼び名は余儀なくされたものであって、彼女らが権益を得るのに支援がなされるのでなければ、このような仰々しい名前では呼ばれたくなかったかもしれない。彼女らは独立した生身の人間であり、同時に英雄なのだ。これらの老人と交流してみれば、目の前の老人が生身の人間であることがわかる。自分の祖母や家にいる老人と何の変わりもない。彼女らも私たちがなぜ撮影しているのかを知っている。その過程では私たちが最も気を配ったのは、相手の気持ちだ。例えば話はいつも、相手が安心できるベッドのそばで聞いた。また家族が外出している時を選ぶこともあった。相手の気持ちをできるだけ考え、自分のおばあさんの話を聞く時と同じように、話したいことを話してもらった。私自身について言えば、この縁を保ち続けていきたいと思っている。毎年彼女らに会いに行き、彼女らのそばで時間を過ごすつもりだ」
「中国網日本語版(チャイナネット)」2017年8月16日