エイブ・ローゼンタールは59年前、「アウシュヴィッツからは何のニュースもなし」と題した記事で、ナチスの罪悪を人びとの目の前に明らかにした。
だが7000キロ離れた中国最北省の省都ハルビン市(黒竜江省)平房区にはもう70年余り、一面の廃墟がひっそりとたたずんできた。世界に残る最大規模の細菌戦遺跡群には、日本ファシズムの人類に反する暴行の跡が数多く残っているが、人びとにはあまり知られていない。
この地獄を生き延びて出てきた人がいないからである。
人類を何度も絶滅できるほどの罪
歴史の影に隠された暴行
2007年、84歳の篠塚良雄は731部隊の遺跡で深く頭を下げた。篠塚がここに来て懺悔し謝罪したのはこれが3回目で、最後ともなった。元部隊長の石井四郎の若い頃の軍服姿の写真を見て、老人は思いに沈んだ様子だった。この千葉県の同郷者はいかに悪魔となり、自分の同郷者をいかに同じ悪魔に変えたのだろうか。
農業学校の学生で15歳だった篠塚良雄は、父を継いで農業に就こうと考えていた。だが学校の先輩に勧められて軍隊に入ることにした。自分が入隊する関東軍防疫部が731部隊と呼ばれる秘密部隊であることは後で知った。
学校は当時、出征する将兵の歓送や帰って来た遺灰の出迎え、銃剣道の訓練などの情景にあふれ、軍国主義の熱狂に満ち、静かに学問に励むことのできる場所ではなかった。
1931年の九一八事変(満州事変)での東北占領から1937年7月7日の盧溝橋事変(盧溝橋事件)まで、日本は「満州」を根拠地として「王道楽土」を建設し、侵略を拡大してアジアの覇権を握り、「大東亜共栄圏」を構築しようと目論んだ。明治維新後の「大陸雄飛」などの思想潮流は、日本の一部の青年の野心を大きく刺激していた。