エイブ・ローゼンタールは59年前、「アウシュヴィッツからは何のニュースもなし」と題した記事で、ナチスの罪悪を人びとの目の前に明らかにした。
だが7000キロ離れた中国最北省の省都ハルビン市(黒竜江省)平房区にはもう70年余り、一面の廃墟がひっそりとたたずんできた。世界に残る最大規模の細菌戦遺跡群には、日本ファシズムの人類に反する暴行の跡が数多く残っているが、人びとにはあまり知られていない。
この地獄を生き延びて出てきた人がいないからである。
人類を何度も絶滅できるほどの罪
侵華日軍第731部隊罪証陳列館と遺跡群に囲いはない。まばゆい陽光の下、4階建ての高さのセメント壁と3本の大型煙突はいやでも目に入ってくる。
70年余り前、ここに光はなかった。高さ2.5メートル、厚さ1メートルの塀には高電圧が流され、塀の外の幅・深さ各3メートルの堀とともに、この「地獄」を外の世界と隔絶していた。
「友軍の飛行機でも、勝手に上空に来たら撃墜すべし」。731部隊には、専用の空港と戦闘機があっただけでなく、2本の専用の鉄道もあり、講堂や運動場、神社もそろっていた。これらは「悪魔」らが「秘密中の秘密」を守るためのものだった。人体実験の被害者として少なくとも3000人がここで無残に死んだ。
731部隊の後方支援要員だった鈴木進は72年前、最後の「マルタ」の悲惨な光景を目撃した。「敗戦の10日余り前、一群の兵士がやって来て、80人の『犯人』を毒ガスですべて毒殺した。死体は7号棟と8号棟の間に置かれ、焼却された後、私の車に乗せられ、松花江に捨てられた」
「マルタ」とは何か。日本語で「丸太」とは「皮を剥がれた木材」を意味する。だがここでは中国やソ連、朝鮮などの一般市民や戦争捕虜を指す。「マルタ」たちは老若男女を問わず、生きたまま名前を奪われ、尊厳のない番号で管理されていた。
731部隊特別班の元隊員・篠塚良雄の回想によると、室外の凍傷実験では、「マルタ」の凍傷となった手を小さな棒で何度もたたいた。木の板と同じような音が出るようになったら、室内に連れて帰り、さまざまな温度の水に手をつける。骨と肉が分離するまで実験を続けた。この実験のせいで多くの人が手や足を切断されていた。
②歴史の影に隠された暴行
③歴史を直視し悲劇の再演を回避すべき