エイブ・ローゼンタールは59年前、「アウシュヴィッツからは何のニュースもなし」と題した記事で、ナチスの罪悪を人びとの目の前に明らかにした。
だが7000キロ離れた中国最北省の省都ハルビン市(黒竜江省)平房区にはもう70年余り、一面の廃墟がひっそりとたたずんできた。世界に残る最大規模の細菌戦遺跡群には、日本ファシズムの人類に反する暴行の跡が数多く残っているが、人びとにはあまり知られていない。
この地獄を生き延びて出てきた人がいないからである。
①人類を何度も絶滅できるほどの罪
②歴史の影に隠された暴行
③歴史を直視し悲劇の再演を回避すべき
731部隊運輸班の運転手だった越定男は、本部駐屯地内の匂いをたびたび思い出した。消毒液と毎日高温で死体を焼く匂いとが混合した匂いが、空中にたちこめていた。この敷地6平方キロメートルの「特別軍事区」には、3基の死体焼却炉があった。今も残る2基は平房区のある工場内にあり、黒い煙突の口には大勢の犠牲者の魂がまだ漂っているようである。25歳の李鵬閣はその一人だった。
1941年、李鳳琴が母親のお腹の中で4カ月の胎児だった頃、父親の李鵬閣は細菌実験室で解剖された後、証拠隠滅のために焼却された。「私が生まれて初めて『お父さん』と呼んだのは、空に向かって、『お父さんの魂をついに見つけましたよ!』と叫んだ時だった」。足元がおぼつかなく、涙の跡でいっぱいの目をした李鳳琴の一家はずっと、父親の失踪という影の中で暮らしていた。731部隊の資料に父の名前を発見するまで。
七三一陳列館には、「マルタ」が憲兵によって「特別移送」された時の資料や人体実験報告書などが6面の壁にかけられている。金成民によると、米国立公文書館から探して来た機密解除資料だけでも8000ページ以上ある。日本のアジア歴史資料センターや民間機構から収集して来た最新の資料は200件余りにのぼり、完全な隊員の名簿や天皇敕令なども含まれる。これらの証言や物証、資料は、 日本の侵略者の途方もない犯罪行為を完全な証拠の数々によって人びとに明らかにしている。だが日本政府は今も、この間の歴史を直視しようとしない。
52歳の楊樹茂の足にできた水泡はいつもひどく痛む。咳をすると痰が出る。労働能力も失ってしまった。14年前、5トラック分の土を裸足で踏んで庭を平らにしたために、マスタードガスの被害者になってしまった。2003年8月4日、チチハル市の工事現場で、旧日本軍が残したマスタードガスの缶5本が見つかり、そのうち一つはその場で破裂し、土壤の汚染と接触した人員の中毒を招き、44人が毒ガスの感染を受け、1人が死亡した。