胸の張り裂けるような叫びはもはや聞こえない。だが陳列館に展示されたメスは、冷たい光を放ち、今も寒気を催させる。「生きた人間の臓器から細菌を取り出さなければならなかった」。篠塚良雄は、「まずワクチンを注射し、さらにペストウイルスを注射した。何人かはすぐに死に、何人かは生き残った。私が経験した実験では5人が死んだ」と語る。
ある実験では「マルタ」は麻醉もされず、四肢と頭部を専用の手術台にしばられ、そのまま解剖された。叫び声が出るのを防ぐために口には医療用ガーゼが詰め込まれた。
ノンフィクションなどを手がける作家の森村誠一は、731部隊の元隊員に何度も証言を求めた。「本部棟の左側に陳列室があった。初めて見た人は驚いて腰を抜かすだろう。白い壁に沿って、ホルマリン溶液入りのガラス容器が3列並んでいる。瓶の高さは60センチ、幅は40センチほど。瓶には人間の頭が入れられ、その目は上方をかっとにらんでいた」
遺跡には毒ガス室が残っているが、安全などの原因からまだ一般には開放されず、今も封鎖されている。ここではかつてマスタードガスなどのさまざまな実験が毎日行われていた。防護室の外では専門員がこれを録画し、「マルタ」に与える毒ガスの量を2倍または5倍にするとにどのような苦痛の反応を示すかなどを観察していた。
731部隊にとって「マルタ」は、自由に切断してもかまわず、簡単に補充できる「材料」にすぎなかった。ウイルスの保有を担うネズミは人よりも貴重で、簡単に死なせるわけにはいかなかった。「マルタ」をより理想的な実験状態に置くため、彼らは、最高の食事を与え、十分な睡眠を取らせ、ビタミン剤を与えることもあった。その唯一の目的はより良い実験の效果を得るためでしかなかった。
「生体解剖や毒ガス実験、細菌戦、証拠隠滅など、医学倫理に反し、人間性を破壊する罪は枚挙に暇がない」。侵華日軍第731部隊罪証陳列館の金成民館長は、「株式会社」や「電流孵卵器」の文字が入った金属の箱を慎重に開けてみせた。ペストを作るための専門用具で、破壊が間に合わずに残ったものだという。旧日本軍が潰走した際、ネズミやノミも細菌を保有したままあちこちに逃げ出した。平房区ではペストが蔓延し、二道屯の小屯だけでも50人がペストに感染して死亡した。
20年間で30回余りにわたって日本を往復し、日本の元兵士の証言を集めた金成民によると、中国の常徳と義烏、雲和、衢州の4地だけでも1万5033人が旧日本軍の細菌戦で死亡した。731部隊が生産した細菌はトン単位のもので、散布されれば人類全体を滅ぼすことができるだけでなく、何度も滅ぼすことができるほどのものだった。
②歴史の影に隠された暴行
③歴史を直視し悲劇の再演を回避すべき
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年9月20日