国交正常化から45年に渡る中日関係を観察すると、大まかに次の4つの段階に分けることができる。最初の十年は蜜月期で、次の十年は親密な協力が中心で、さらに次の十年は協力と摩擦が共存する時期で、最後の十年は新たな歴史的段階への突入となった。全体的に見て、中日関係の発展は全体的に安定し、曲折しながら前進する発展の流れを維持する。過去を振り返ると、中日が食い違いを残しながら発展できたことには、主に次の要因がある。(筆者:姜躍春 中国国際問題研究院世界経済・発展研究所所長)
まず現実的に見ると、中日間の経済協力は両国関係の発展に対しバラストとしての力を発揮した。これにより二国間関係は、徹底的な対立には陥らなかった。中日両国の経済関係は数十年の健全な発展をへて、初歩的に相互依存関係を形成した。二国間貿易が拡大を続け、2012年には3450億ドルに達した。日本は中国にとって2番目の貿易相手国になった。これは素晴らしい成果だ。貿易以外にも、中日の経済レベルの協力において、日本の対中投資は中国の改革開放初期に重要な力を発揮した。日本は現在も中国の外資導入の重要な国の一つになっている。さらに円借款、政府開発援助(ODA)など金融分野の協力は、多種多様な形式により双方に確かな経済の利益をもたらした。
次に歴史観を見ると、歴史認識問題は中日関係の発展を制約する、非常に敏感な要素だ。歴史問題をめぐり、日本社会では常に多くの官僚と学者、さらには高い地位を占める政治家までもが戦争を美化し、侵略を否定する暴言を吐き、そのような認識を示しているからだ。少なくともこの問題において、客観的な認識が存在しない。筆者が歴史観を中日関係安定の要素と考えるのは、中国の主流社会が日本の歴史問題に関する暴言に対して、一部の軍国主義分子と日本の一般人を完全に分けて考える姿勢を取っているからだ。中国人にこのような寛容な心がなければ、中日はこの45年に渡りこれほど安定的に歩むことはできなかっただろう。