【陸軍の残酷な行為】
三谷翔は今年9月に亡くなった。享年98歳。
三谷氏は銘心会が11月26日に大阪で開いた、南京大虐殺犠牲者記念活動に出席できなかった。活動では彼の証言を中心とするドキュメンタリーが放映された。
1937年、三谷氏は18歳だった。日本軍は12月13日に南京城を攻略し、これを祝うため「入場の儀式」の準備をしていた。三谷氏は17日、海軍の艦艇に乗り、この中国の都市を訪れた。
三谷氏はドキュメンタリーで、次のように振り返った。彼が南京に到着した当時、街頭にはすでに現地人の姿がなく、下関と挹江門の近くに死体の山ができていた。三谷氏は18日より毎日、揚子江の畔をトラックが行き来するのを目にした。多くの中国人が運ばれ、日本軍が銃を掃射し、川が血で赤く染まった。あるいはガソリンで焼き殺され、黒い死体が山をなした。死体が多すぎ、ごみのように無造作に川に捨てられた。このような光景は彼が27日に帰国の途に就くまで続いた。
その路上、三谷氏は上官から、目にしたことを帰国後に話すなと命じられた。
ドキュメンタリーの最後に、この高齢者は「(日本)陸軍の当時の行為は余りにも残酷だった。上層部は兵士の残虐行為を見て見ぬふりしていた」と述べた。
松岡氏は、三谷氏と20年前に知り合った。三谷氏は虐殺に直接参与していないが、加害者の一人として深い反省の意を示していた。彼は、南京大虐殺の残酷さ、戦争の痛みを人々に伝えることで、初めて平和の意義を良く考えてもらえると話していた。
三谷氏は2007年に、銘心会の追悼の旅に加わり南京を訪問し、南京理工大学の学生に当時の見聞を語った。彼は出発前、証言することで南京の人々の憎悪を掻き立てることを心配していた。しかし学生は三谷氏の勇気に打たれた。ある男子生徒は「南京大虐殺を否定する日本の右翼勢力が大手を振っているが、三谷氏は勇敢に証言した。私は日本人への偏見をなくした」と述べた。