「パンダブーム」、日本に再来

「パンダブーム」、日本に再来。シャンシャンは、生後190日となる19日、日本の民衆に向けて正式に公開となった。その前日には、約70社のメディアの130人の記者が、シャンシャンの姿をいち早く見る機会を得た…

タグ:パンダ シャンシャン メディア 公開

発信時間:2017-12-20 16:50:39 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 「可愛すぎる!」


 「萌える!」


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 12月18日、東京の上野動物園にパンダ「シャンシャン」の取材に訪れたメディア記者らは口々に歓声を上げていた。シャンシャンは、生後190日となる19日、日本の民衆に向けて正式に公開となった。その前日には、約70社のメディアの130人の記者が、シャンシャンの姿をいち早く見る機会を得た。


 シャンシャンは、中国から2011年に日本にわたったパンダ「比力」(日本名「リーリー」)と「仙女」(日本名「シンシン」)の娘で、体重は出生時の147グラムから12キロ以上に増えた。シャンシャンは、竹を食べるのが好きなだけでなく、切り株の上で遊ぶのにも夢中だ。


 「来年は戌年ですが、私はパンダ年だと言っております」。同日午前に開かれたシャンシャンの一般公開を祝う活動では、小池百合子東京都知事がユーモアたっぷりにそう言った。在日本中国大使館友好交流部の汪婉参事官は式辞で、「来年は中日平和友好条約締結40周年にあたる。シャンシャンが、中日両国をつなぐ紐帯、中日両国の平和友好の使者となり、両国人民の友好感情を引き続き増進することを望んでいる」と述べた。


 1972年10月、中日国交正常化を記念するため、北京動物園のつがいのパンダ「カンカン」と「ランラン」が中国人民の友好感情をいっぱいに背負って東京上野動物園にやって来た。彼らの到来は、日本でたちまちセンセーションを引き起こし、長期にわたって衰えることのない「パンダブーム」を形成した。


 当時、共同通信社の記者になったばかりだった浅野健一氏は、彼らが空港に到着した時からこの一対のパンダの報道を始め、1年8カ月にわたって取材を続けたという。もう退職している浅野氏は、「今日、上野動物園に来て、1972年の情景がたちまちよみがえった。日中友好の使者である『シャンシャン』が健康にたくましく成長することを願っている。同時に、日本政府が中国の人々の友好の気持ちを受け止め、両国国交正常化の初心に立ち返り、『4つの政治文書』と『4つの原則的共通認識』を土台とし、『歴史を鑑として未来に向かう』という精神にのっとって、両国関係の継続的な改善を推進することを望んでいる」と語った。


 中国は1980年と1982年にも日本にそれぞれメスパンダの「ホァンホァン」とオスパンダの「フェイフェイ」をプレゼントした。1986年6月、フェイフェイとホァンホァンは人工授精を通じてメスパンダ「トントン」を産んだ。トントンの誕生は再び、日本でパンダブームを引き起こした。トントンは日本で生まれ育った最初のパンダとなった。1988年6月、フェイフェイとホァンホァンは日本でまたメスパンダ「ユウユウ」を産んだ。


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