一人きりになった王玉蘭は、宗開国を待ち続けるわけにもいかず、紹介を通じてやはり兵士だった雷国順に嫁いだ。1949年、雷国順は王玉蘭を連れて陝西省の故郷に帰った。
雷国順と約一年暮らした後、二人は離婚した。その後、村の劉という女性の主任が王玉蘭を一歳上の村民の宋治福に紹介した。1976年、宋治福は病死した。王玉蘭は丹鳳県白李湾の李明堂の家に嫁いだ。
落ち着いた暮らしを手に入れた後、王玉蘭は2002年、日本に帰って親戚を尋ねることを申請した。だが驚いたことに、日本にはすでに偽の水崎秀子がいた。日本『毎日新聞』の報道によると、偽の水崎秀子は証書と印鑑を偽造し、1995年に6人の子や孫を連れて日本に住み始めていた。
2005年、日本厚生労働省は陝西省の王玉蘭の家に人員を派遣し、DNAサンプル採取などの一連の複雑な証拠集めと調査を行った後、王玉蘭が水崎秀子本人であることを確認した。
2006年4月、王玉蘭は連れ合いの李明堂とともに60年余りぶりに日本に帰り、従姉(いとこ)と再会した。77歳の王玉蘭はすでに日本語を喋れず、従姉とは通訳を介して話さなければならなかった。日本に2週間余り滞在した後、王玉蘭は夫と陝西に帰ることを選んだ。
2015年に夫の李明堂は亡くなり、王玉蘭の生活の面倒は息子夫婦が見ていた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年1月9日