日本の民間団体が発表した調査によると、調査を受けた日本人大学生のうち1日の読書時間を「ゼロ」と答えた学生は半数にのぼった。日本の教育現場に身を置く教師としては、深い困惑を覚えずにいられない。(文:劉迪・日本杏林大学大学院教授)
近代国家にとって、国民の読む力は競争力の一部と言われる。国民の読む力の高さは国家と民族の未来に直接影響する。日本は戦後、立法を通じて国民的な読書運動を繰り返し推進した。現在、一人当たりの定期購読新聞数、一人当たりの年間書籍閲読数などで、日本は依然として世界をリードしている。だが「本を読まない」という現象は日本では確かに蔓延している。
私が学生だった頃、毎日歩いた大学からJR高田馬場駅までの20分余りの道沿いには、古本屋がいくつも並んでいたものだった。だが今では書店は少なくなり、残っている店は古びて、ラーメン屋や携帯ショップの間に埋もれている。日本の新聞や雑誌には現在も、著名な企業家が本を推薦するコラムがある。多くの企業のリーダーは読書好きであるようだ。だがこうした「読書人」の姿は徐々に過去のものとなりつつある。
上中流社会出身の有名大学の学生は今も本を読んでいる。彼らの多くはアルバイトをしていないか、またはしていても読書を続けている。残りの大学の学生の閲読習慣は明らかに有名大学に及ばない。習慣の問題もあれば、経済的な問題もある。とりわけ下層出身の学生は、両親が学費を支払う能力がなく、アルバイトで生活費を稼ぐだけでなく、学費の一部も負担している。
日本では長時間労働の問題が際立っている。現役の労働者のうちの青壮年は本来なら、閲読を最も楽しんでいる年齢だ。だがこの年齢の人々は、毎日平均で10時間以上も働いていると言われる。現代人にますます増えているコンピューターでの作業は、視力や精神、身体のすべてに負担をかける。肉体労働より楽に見えても、深いレベルで疲労がたまる。また現代日本人の多くは結婚や出産が遅く、子どもの面倒を見ながら寝たきりの親を介護するという人も少なくない。社会の中堅をなす人々は皆そろって疲れ果て、読書の習慣を奪われている。