若者にとって「読書」には二つのタイプがある。一つは国民教育の一環としての読書、もう一つは自由な読書だ。前者が減れば、国民教育が損なわれる。後者が減れば、人格や良識の形成される環境が弱まる。読書時間全体の減少は、若い世代の包容力や想像力を損なうものともなり得る。民族全体の創造力にそれは破滅的な影響を及ぼしかねない。
日本人が本を読まなくなったという現象は、日本社会全体の変化を反映するものでもあり、世界の発展の流れにかかわるものでもある。日本では戦後、大学の数が増え、学生が増加した。大学は現代の産業システムと歩調を合わせて発展し、生産消費社会の歯車となった。誰もが大学生になる時代に、学生はそのオーラを失った。大衆社会がエリート社会に取って代わった。こうした現実は閲読方式の変化につながっている。
現代の日本の中堅労働者は、ゲームや漫画・アニメ、テレビの影響を受けて育った世代だ。その閲読対象はすでに、書籍から、動画やテキスト、音声などの総合情報へと変わっている。日本は漫画大国だ。娯楽漫画だけでなく、多くの専門分野にも良い漫画がある。多くの日本の若者にとって、漫画は知識の重要な源となっている。日本の知識人らは今、かつて読書が盛んだったこの国で「読書」をこれからも守るべきなのか、「読書」の定義は拡張可能なのではないかと自問している。技術革命と人類の社会構造の変化は、人類の閲読の歴史を変え続けている。大学でも、学外の変化が学内の教育方式の変化を迫っている。だが日本の教育機関は、このような変化の意義を本当に理解してはおらず、変化への準備もまだできていないようだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年3月16日