プラザ合意締結からの数年間、大量の円資金が不動産市場と株式市場に流れ込み、特に不動産分野に流れ込んで不動産価格の急上昇をもたらし、バブルが発生した。オリックスグループの宮内義彦シニア・チェアマンは、「当時の政府は『1つの誤りを犯した』。不動産などの分野での資産バブルを崩壊させて、正常な水準に戻そうとしたことだ。だが『曲がったものを真っ直ぐに直そうとする調整プロセス』を取り、消費者物価指数(CPI)を過度に低下させることになった」との見方を示した。
宮内氏によれば、「当時、CPIは根本のところでは上昇しておらず、バブルもなかった。日本政府の判断の誤りと、その後に続いた経済バブルにより、10年近く続いた経済発展の『停滞期』が訪れ、これは根本的にみて、日米貿易摩擦後の一連の貿易政策や金融政策に端を発したものだ」という。
白川氏も、「日米貿易に巨大な格差が生じると、米国は日本に為替相場を調整し、円安を誘導するよう迫り、これにより長期的な金融緩和政策がもたらされ、日本のバブル経済と『停滞』を引き起こした重要な要因の1つになった」との見方を示した。
▽内部の構造改革が重点
かつての日米貿易摩擦の当事者で、その後の日本の金融政策の制定者の一人である白川氏は、目下の中米間の貿易摩擦には慎重に見守る態度をとり続ける。白川氏によれば、「貿易摩擦のような政治性を帯びた経済問題こそ、より理性的に全面的に考察する必要があり、両国の『基本的問題』に回帰する必要がある」という。
白川氏は日本のかつてのマクロ経済状況を例に挙げて、「日本の80年代の経済成長ペースは世界各国よりも確かに速かったが、その数年前に比べると低下していた。ただ当時の政策決定者は経済成長ペース低下という現実を受け入れることができず、レバレッジなどの措置によって経済を活性化させて高度成長を維持しようと考えた」と振り返った。
白川氏は当時の歴史を振り返りながら、「貿易摩擦の背景にある、潜在的経済成長率の低下といった核心的問題を詳しく検討しなければならない。たとえば人口構造についていえば、日本は『人口増加のメリット』が最大になった時に、経済バブルが崩壊した。持続的な貿易摩擦の背後にあって、日本は自国経済の内部構造の問題を解決する方法により注目し、これを追求すべきだった」と述べた。
宮内氏は、「当時、欧米諸国からの圧力に直面して、日本銀行が取ったやり方は正しいものだったが、外部から来た貿易摩擦を解決し、内部にある経済構造などの問題を解決するために、よりどころとなるのは金融政策だけではなく、財政政策を通じて供給側の需要を引き上げることも必要だった。現実のプロセスでは、金融政策の緩和はツールの一つに過ぎないのに、これだけが役割を発揮していることに失望している」と述べた。