共同通信はこのほど、裕仁天皇の元侍従の日記を手に入れた。昭和天皇が85歳だった1987年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らし、「細く長く生きても仕方がない」と発言したと記述されている。ロシア・スプートニクが23日に伝えた。
裕仁は1926年に日本の第124代天皇になり、昭和に改号したため昭和天皇とも呼ばれる。共同通信によると、元侍従の故小林忍氏の日記により、日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。この日記は昭和後半の重要史料といえる。
1988年12月には長崎市長だった故本島等氏が「天皇の戦争責任はあると思う」と発言し、波紋を広げるなど晩年まで度々論争の的になった。
日記の1987年4月7日の欄に「昨夕のこと」と記されており、昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。
日記には「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述されている。
日記からは、昭和天皇が晩年まで日中戦争と太平洋戦争を発動した責任問題について、不安を抱いていたことが分かる。また弟の高松宮に先立たれたことにも心痛していた。既に公表されている先輩侍従の故卜部亮吾氏の日記にも、同じ4月7日に「長生きするとろくなことはない」とつづられており、小林氏の記述の趣旨と符合する。