昭和天皇の元侍従の日記が公開、戦後も戦争責任について苦悩

昭和天皇の元侍従の日記が公開、戦後も戦争責任について苦悩。共同通信はこのほど、裕仁天皇の元侍従の日記を手に入れた。昭和天皇が85歳だった1987年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らし、「細く長く生きても仕方がない」と発言したと記述されている…

タグ:天皇 戦争 責任 日記 

発信時間:2018-08-24 13:51:28 | チャイナネット | 編集者にメールを送る


 1986年3月の衆院予算委員会で、共産党の衆院議員だった故正森成二氏が「無謀な戦争を始めて日本を転覆寸前まで行かしたのは誰か」と天皇の責任を追及、これを否定する中曽根康弘首相と激しい論争が交わされた。


 昭和天皇は、1987年4月29日に皇居・宮殿で行われた天皇誕生日の宴会で嘔吐し退席。この年の9月に手術をし、一時復調したが1988年9月に吐血して再び倒れ、1989年1月7日に亡くなった。


 小林氏は人事院出身。昭和天皇の侍従になった1974年4月から、側近として務めた香淳皇后が亡くなる2000年6月までの26年間、ほぼ毎日日記をつづった。共同通信が遺族から日記を預かった。


「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年8月24日

 

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