中国の新語が日本に渡る
現代中国語には多くの「和製漢語」が入っているが、これは中国人学者が受動的に日本人学者の翻訳の成果を受け入れたというわけではない。例えば「化学」は中国人学者が創造したものだが、東の日本に伝わると翻訳された日本語名の代わりに用いられるようになった。
化学はオランダ語で「Chemie」だ。早期の日本の学者はこれを「舍密」と翻訳していた。なぜこのように翻訳されたかは検証不能だ。当時の日本人は、化学者が一日中実験室の中で奇妙な実験をし、「屋舍内で神秘的な活動に従事している」と感じていたという説がある。「舍密」という言葉は日本で、1860年代頃まで使用されていた。
中国人学者の王韜は1855年、化学実験を目にした際に、西洋人学者のハドソン・テーラーが水をさまざまな色に変化させたことに驚き、この手法を「化学」と名付けた。偶然にも王韜は当時、西洋の宣教師が上海で設立した出版社「墨海書館」の職員だった。彼の力強い推薦により、この出版社は『六合叢談』という刊行物の中で、初めて「化学」という訳語を使用した。日本では1859年に『六合叢談』の合本が出版された。本書を手にした日本の学者は「化学」という訳語を一目で気に入り、関連著作の「舍密」をすべて「化学」に訂正した。その後日本で出版された書籍は「舍密」の使用を止め、「化学」が残った。
19世紀から20世紀に渡る中日名詞翻訳運動におけるさまざまなエピソードを振り返ると、中日両国が漢字という道具を使い、科学技術や文化の相互促進・啓発を行ったことが分かる。また漢字という古い言語に多くの新鮮な血を注ぎ、新しい活力をもたらした。これは中日、さらには世界の文化交流の歴史における美談と言える。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年11月1日