ロシア外務省のザハロワ報道官は13日、両国の平和条約条約締結に向けた協議の中で、1960年に旧ソ連政府が日本に提出した日本領土からの米軍撤退を求めた「対日覚書」を取り上げると述べた。共同通信が伝えた。
この覚書については、1956年に日本と旧ソ連が調印した「日ソ共同宣言」を振り返る必要がある。同宣言は、双方は平和条約を早期締結し、旧ソ連は締結後に領土問題の存在する島のうち面積が比較的狭い色丹島と歯舞諸島を返還するとした。日米安保条約の締結に抗議するため旧ソ連政府が1960年に署名した対日覚書は、1956年に日本と合意に至った日ソ共同宣言に含まれる「歯舞・色丹返還」に、「すべての外国軍の日本領土からの撤退」という前提条件をつけた。日本政府は当時、1956年の宣言の内容を一方的に変更するやり方は受け入れられないと表明した。これは双方の平和条約の交渉が膠着状態に陥った原因の一つだ。
ロシアのプーチン大統領と日本の安倍晋三首相は11月14日、1956年のソ日共同宣言を踏まえた上で日露平和条約の交渉を加速することで合意した。その後ロシアのペスコフ大統領報道官は、露日が共同宣言に基づき領土問題について議論することで合意とは、ロシア側が日本側に「自動的」に係争中の島を返還することを意味しないと説明した。ロシア側は最近、平和条約の交渉で▽南クリル諸島(日本名・北方四島)返還後、米軍が駐留する可能性▽日本が間もなく導入する米国製のイージス・アショアに、米国の巡航ミサイルが搭載される可能性――という2つの懸念を示した。
ロシアが1960年の対日覚書を持ち出したのは、日本側をけん制するためと分析されている。共同通信は、米露関係が極度に悪化するなか、ロシア側が米日安保体制と在日米軍問題について言及したのは、交渉で進展を目指す日本側をけん制するためと指摘した。