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経営者の故ポール・アレン氏は探索活動により、日本の戦艦「比叡」を発見した。米月刊誌『POPULAR MECHANICS』(電子版)が7日、伝えた。
日本の研究者は約1年前にソナーを使い、比叡が1942年に沈没した海域の付近で沈没船を発見した。調査船「ペトレル」が1月31日、その具体的な位置を特定した。ペトレルはマイクロソフト社の共同創業者であるアレン氏による、世界各地の有名な沈没船の残骸を見つける広範な取り組みの産物だ。ペトレルから投入された遠隔操作型潜水艇(ROV)はサボ島沖で、海底で逆さまになっている比叡を発見した。
比叡は1914年に横浜海軍兵工場にて、旧日本海軍に配備された。排水量は3万3600トンで、356ミリ口径の主砲を8門持つ。日本海軍が1941年12月に真珠湾を奇襲した時には、空母護衛航行艦隊の一員だった。
1942年11月13日夜、比叡、戦艦「霧島」、小型巡洋艦1隻、駆逐艦11隻を含む日本の艦隊が、大型巡洋艦2隻、小型巡洋艦3隻、駆逐艦8隻の米国艦隊と交戦した。この戦闘はその後、第一次ガダルカナル海戦と呼ばれるようになった。比叡は戦闘中、高出力サーチライトを使い米軍艦を照らした。そのため米国の砲弾の主な標的になった。この老朽化していた戦艦は、米軍の砲火により重傷を被った。
米国の爆撃機と雷撃機が比叡の包囲攻撃に加わった。比叡は損傷が激しく、戦闘終了後に海底に沈没した。比叡の定員は1360人で、うち108人が船と共に海底に沈んだ。比叡は第二次大戦で初めて米軍に撃沈された日本の戦艦だ。
比叡が沈没した海域は、長年に渡り謎だった。沈没する中、人々は慌てて2カ所の沈没海域を記録した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年2月25日