戦後ある国の経済規模が米国の6割弱に達すると、米国が焦りを示すようになった。双方の協力はこうして苦境に直面した。米国はかつての小さな仲間を、潜在的に重大な競争相手とした。これはかつての日米貿易衝突のことだ。
日米経済戦争が最も激しかったのは1980年代だが、より長い歴史的視角から見るならばそれは1970年代前半に生じていた。日米の経済関係はそれほど調和的ではなくなっていた。トランプ米大統領は先月日本を国賓訪問した際に、依然として日本が米国から得をしているとの観点を示した。これが米国が日本に経済戦争を仕掛ける根深い理由であることは間違いない。
歴史を鑑とすることで興隆と衰退を知ることができる。米国と比べると日本の方が凋落しているが、日本は米国との経済戦争に最も慣れている。これは痛ましい教訓があるからだ。日本の学界も日米経済戦争を最も深く見直している。世界が百年に一度の大変動を迎えるなか、遠い過去と化した歴史はなく、我々に啓発を与えてくれる。
日米経済戦争についてしばしば取り沙汰されるのは、1985年9月22日のプラザ合意だ。その頃から米国は日本の首を絞め始めたという観点が流行している。ところが日本人記者の船橋洋一氏は著書『通貨烈烈』の中で、「プラザ合意の真の試練は、その国内政策をより力強い国際協力に傾斜させる能力にあった。当然ながらこの試練に打ち勝つことができるかは、この尽きぬ物語の一部だ」との観点を示した。日本はこの試練に打ち勝つことができず、かつプラザ合意をめぐる物語は日本経済の凋落の物語、「失われた10年」を限りなく繰り返す物語だ。
船橋氏は日本経済の90年代のバブルについて、「日本の最大の失敗は、需要側が最良の財政・金融政策を講じなかったことだ。また供給側の支持についても、組織的な改革の措置が奨励されなかった。プラザ合意は問題の根源ではない」船橋氏の観点は、日本で主流の見方を示している。経済学者の野口悠紀雄氏は、日本の輸出増は好況を意味せず、「改革が日本を変えた」という説は嘘に過ぎず、日本経済に実質的な好転は生じていないと判断した。輸出増は日本の輸出産業そのものの競争力を高めることで実現されるのではなく、輸出量の拡大と円安により価格面の競争力を高めることで実現されるというのだ。