彼は学費と生活費を払うためやむなくアルバイトの時間を増やし、店で翌日3、4時まで働くこともよくあった。終電に間に合わなければ店内で一夜を過ごし、朝起きると授業に向かう。勤務時間が長すぎたせいか、体内の生物時計が狂った。万さんは不眠症や不安症に悩まされた。
半年後、ある知り合いは万さんに出会うと、26歳の若者なのに老けたおじさんのようだと感じた。万さんは日本語学校から退学させられ、中国の大学を卒業しているという学歴によりなんとかラーメン店に就職していた。
万さんは、東京を訪れたことは後悔していないが、事前に準備せず盲目的に来てしまったのが悪かったと話した。万さんはこの都市で戦う多くの時間を持っている若者を羨んでいる。彼は年齢の「差別」を受け、しかも母親からの小言に耐えなければならない。
しかし彼にとってもっと辛いのは、中国の友人と話をするたび、彼が東京という大都市のオフィスでデザイナーになっていると思われることだ。崇拝と羨望の対象になると、彼は説明しようと思っても言葉を失い、デザイナーということにしておいた。デザインするのがラーメンに変わっていたが。
万さんはやや気落ちしながら、「東京は夢を織りなす場所ではなく、夢が戦う競技場だ。準備ができていなければ、軽率にこの都市を訪れるべきではない。ここでは一気に貴族になれるかもしれないが、浮浪者になるかもしれない。東京が歓迎するのは備えのある人だ」と語った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年6月23日