日本は液晶の王者だった。それを疑う人はいない。ただ、それも過去の話だ。
液晶技術自体はアメリカの実験室で発明されたものだが、最初に商用化したのは日本である。
“液晶の父”と呼ばれるシャープは、1973年に初めて液晶表示器搭載の電卓を発表した。1988年、同社は世界初となる14インチ液晶モニターを発売。日本は液晶パネル産業を独占することになった。1990年から1994年まで、日本は世界の液晶パネル産業の90~94%以上を占めた。残りは米国産である。
液晶パネル技術を初めて商用化したシャープ
1995年は日本の液晶パネル産業のピークだったと言える。日本が世界一だったこの時代、その地位を日本が失うとは誰も考えていなかったはずである。
液晶パネル生産規模を巨大化させたサムスン
1995年、韓国および中国台湾地域は自らの液晶産業を成長させ始めた。韓国のサムスンとLGは、その規模を日本以上に巨大化させた。台湾も液晶パネルの自主開発を始めると共に、日本企業のノウハウを導入して工場を建設。人材も育成した。その後、日本からビジネスを奪うようになった。
2005年になると、中国大陸も液晶産業に進出するようになり、昨年に至るまで液晶の生産量が世界一となっている。中国は液晶産業の覇者となった。
日本の大型液晶パネル企業であるJDIは今、連続赤字を計上しており、他社の資本参入がなければ生存できない状況にある。今後も韓国・中国との競争が避けられない以上、見通しは不透明だ。もしJDIが買収されれば、日本は液晶パネル産業における地位を完全に失うことになる。
JDIの難局は日本液晶パネル産業の縮図
日本はすでに、液晶パネルを購入する立場にある。ソニーのハイエンドテレビの液晶パネルはすべて海外製だ。韓国、中国台湾地域、中国大陸から供給を受けている。ソニーはいまのところ自らのブランド力で利益が得られているが、核心となる液晶パネルが作れない以上、必然的に今後の成長は鈍化するはずである。
なぜ日本は液晶の王座から転落したのか