「私は死なない、永遠に生き続ける」
ジャン・ラフ・オハーンさんは2016年にインタビューに応じた当時、すでに幸福な曾祖母だった。しかし数十年前、彼女が勇気を振り絞り東京で自分のことを話すと、日本人でさえショックを受けた。このオランダ系豪州人もなんと、慰安婦制度の被害者だったのだ。
ジャンさんは90年以上前、オランダ領東インド諸島(現在のインドネシア)で生を受けた。1942年に日本軍が島に侵攻した後、彼女と9人の女性が日本軍に強制連行された。こうして日一日と続く蹂躙が始まった。「私の頬を涙が伝った」とジャンさんは回想録の中で振り返っている。蹂躙と苦しみはほぼ毎日続いた。
終戦後、ジャンさんは英国人と結婚し、豪州に移住した。しかしあの暗闇に包まれた日々の恐怖が、夢の中で彼女を追い回していた。彼女は自分の秘密を隠しながら、慎重に50年以上も生活した。
第二次大戦中、慰安婦制度によって苦しめられた女性の数は20万人以上にのぼる。しかしこの問題は終戦後、その他の戦争犯罪のように公の場で理性的に議論されていない。ジャンさんは1991年になり、ようやく希望を目にした。当時67歳だった韓国人の元慰安婦、金学順さんが日本軍の残酷な慰安婦制度を初めて告発し、日本政府に謝罪と賠償を求めた。
その後まもなく、ジャンさんも勇気を出して各地でスピーチを行い、「女性は戦争中に強姦されるべきではない、戦争は強姦を当然のこととすべきではない」と訴えた。日本の安倍晋三首相は2015年12月、慰安婦に謝罪し、慰安婦に支援事業を行う財団に数百万ドルを提供したが、これらはいずれも韓国の被害者に限られていた。ジャンさんやその他の国の人は、依然として正義を取り戻していない。
90代のジャンさんは「彼は私たち全員が死ぬのを待っているが、私は死なず、永遠に生き続ける。私が死んだとしても、家族が戦い続ける。この暗闇に包まれた歴史を
最後の被害者と共に埋葬させるわけにはいかない」と話した。
歴史の経験者が減少中
蘇氏は記者に「教科書を含め、慰安婦という歴史の真相に関する記述が減少している。しかし1990−2000年頃であれば、日本社会とメディアは積極的に調査し、反省し、賠償を推進し、日本政府に罪を認めるよう働きかけていた。書店では慰安婦の真相に関する本が非常に多かった」と指摘した。
蘇氏は「中国の慰安婦被害者の平均年齢は現在94歳で、人生の終わりに近づいている。一部の高齢者はこの年になるとすべてを忘れ、許そうとする。しかし多くの高齢者は、侵略者が認めなければ許せないとしている」と述べた。
これらは「彼女たちの物語」の氷山の一角に過ぎない。歴史の経験者が減少し、中国の生存中の慰安婦被害者は約18人のみ、韓国は約20人のみになっている。
「彼女たちの歴史」は埋もれるべきではない。人々が一つの物語を覚えていれば、被害者もこれを話すことを恥としないかもしれない。人々が一人を覚えていれば、この失われつつある事実は、永久に記憶される「墓誌銘」になるかもしれない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年8月15日