お花見シーズンの3月、あたかも存在感がなくなったウイルス
すでに新型コロナの渦中にある日本だが、1カ月前はまだのんびりお花見を楽しんでいた。
3月といえば、ヨーロッパでオーバーシュート(爆発的感染)が起き、米国も徐々に悪化しつつあった。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の風波を経験した日本は1日に当たりの新規感染者は50人前後にとどまっていた。日本は新型コロナウイルスを完全に封じ込めたと報じる米国メディアもあった。
日本の厚生労働省も楽観的な態度を示し、専門家の判断に基づき、日本の感染状況は「感染のスピードをコントロールできる段階」と3月10日に発表した。
こうした情況を受け、日本国民の生活は特に大きな影響を受けていなかった。東京の高校生は休校中にカラオケボックスに行ったり、渋谷には多くの若者の姿がみられた。「自分が感染するなんて想像できない」と18歳の女子学生は話していた。
この答えはあたかも日本社会のコロナに対する楽観的な態度を凝縮していた。その一方で、イタリアやスペインでは新規感染者が毎日5000以上確認され、死者数も数百人となっていた。日本の国民はコロナに対して何ら不安を抱く必要はないようにみえた。
東京は青空が広がり、春爛漫となった3月21、22日の週末。東京のお花見の名所、上野公園や代々木公園には大勢の花見客が訪れ、賑わった。マスクもつけずに弁当を囲む様子は例年のお花見シーズンと変わらず、あたかも新型コロナが声をひそめて姿を隠しているかのようだった。
「少しは心配だけど、上野公園はこんなに広いし、大丈夫だと思ってお花見に来ました!」3月22日にフジテレビが放送したテレビ画面には、カメラに向かって笑顔で話す主婦の姿があった。マスクもつけず、その背景には上野公園の満開の桜とひしめき合う花見客が映っていた。
日本国内が花見で賑わいを見せる中、日本以外では東京五輪が予定通り開催できるかという議論でざわついていた。1月の感染拡大以後、こうした議論は常にささやかれたが、3月19日まで安倍首相は「五輪は延期または中止しない」と表明していた。
7年近い大掛かりな準備、8つの新規恒久施設と、今回の五輪は日本の若い世代の五輪への憧れだけでなく、1964年に初めてアジアに聖火が灯った年輩世代の思いも詰め込まれており、何としてでも世界が目を見張るものをと日本は全力で取り組んできた。
当時の日本人にとっては開催目前にして「五輪延期」も「五輪中止」も想像もつかない選択だった。
カナダオリンピック委員会やオーストラリアオリンピック委員会などが「出場辞退」を表明するや、安倍首相は3月23日、延期を受け入れると態度を軟化させた。この日の日本の新規感染者数はわずか39人だった。
五輪延期の翌日に感染状況が突然「重大局面」に