事実上の次期首相を決める自民党総裁選が29日に行われた。岸田文雄氏が2回目の決選投票で勝利し、自民党第27代総裁になった。「小石河」(小泉進次郎、石破茂、河野太郎)ら非主流派が手を結び、民意の力を借り総裁の座を狙う挑戦が失敗した。日本は「安倍支配」の権力構造を維持する。
1996年の衆議院の新たな選挙制度が始まってから、世論からの一定の支持率が総裁選に出る必要条件になった。自民党の派閥の歴史を見ると、現在の最大派閥である清和会(現在の細田派)はかつて非主流派だった。長期的に自民党を支配したのは「武闘派」と呼ばれた経世会(現在の竹下派)と「公家集団」と呼ばれた宏池会(現在の岸田派)だ。経世会は田中角栄の流れを汲み、最大派閥として自民党の選挙及び国会対策事務を握り、竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三などの首相を輩出した。宏池会は池田優人、大平正芳、宮沢喜一ら大蔵省(現在の財務省)のエリート官僚出身の首相を輩出し、ハト派の政策団体として経世会を支持した。経世会と宏池会が主導する自民党は経済成長と、それがもたらす成果を国民に広く分配する政治を重視した。その結果、戦後日本は「一億総中流」と呼ばれる社会になり、貧富の格差が小さくなった。
このような流れからの大逆転が生じたのは2001年の総裁選だ。非主流派の清和会出身の小泉純一郎氏が最大派閥が推薦する橋本龍太郎氏と対峙した際に、田中真紀子氏と協力し「小泉劇場」を演じた。小泉氏は党員・党友票の競争で圧倒的にリードし、その後の国会議員投票で橋本氏に圧勝した。小泉氏は高い世論支持率を後ろ盾にし党内の主流派閥が推薦する候補者に勝利し、非主流派の大逆転を自民党の政治の歴史における重要な転換点にした。今回の選挙において、非主流派の「小石河」は「安倍支配」に挑戦しようとしたが、明確な「脱安倍支配」の方針を示せず、曖昧な「印象戦」としか言えなかった。それに加え、コロナ禍のため地方で活動できなかったため、「小石河」は党員・党友の支持をさらに拡大できず、党員・党友票の競争で圧倒的な支持を得られなかった。
岸田新総裁は首相就任後、一連の内政の厳しい試練に直面する。まず、議員の任期満了に伴う衆院選にすぐ直面し、来年7月には参院選を控えている。2回の国政選挙、特に参院選は新政権の政権運営の業績にとっての試験だ。試験の成績は新政権が安定的に政権運営できるかを直接決める。次に、効果的に感染対策すると同時に経済を回復させるという難題に直面する。岸田氏は総裁選で景気刺激策「GoToトラベル」を実施し、感染拡大の第6波にも対応すると表明した。感染対策と消費刺激という矛盾を上手く処理できるかは、参院選の動向に直接関わってくる。(中国社会科学院日本研究所政治研究室副主任・張伯玉)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2021年9月30日