「花束みたいな恋をした」が中国で22日封切り 趣味が同じカップルはうまくいく?

「人民網日本語版」  |  2022-02-26

「花束みたいな恋をした」が中国で22日封切り 趣味が同じカップルはうまくいく?。

タグ:花束みたいな恋をした

発信時間:2022-02-26 10:49:49 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

昨年1月29日に日本で公開された「花束みたいな恋をした」では、東京で終電を逃したことをきっかけに知り合った菅田将暉演じる山音麦と、有村架純演じる八谷絹による、忘れられない最高の5年の恋が描かれている。映画のタイトルの通り、二人の恋は「花束みたい」に美しいものの、最終的には枯れてしまう。二人の愛が冷めていく現実的なストーリーは、見る人を切ない思いにさせる。

同作品は土井裕泰監督がメガホンを取り、脚本は坂元裕二が手掛けた。坂元裕二は、「東京ラブストーリー」や「カルテット」、「大豆田とわ子と三人の元夫」などの人気作品を手掛けてきた人気脚本家。繊細な描写が得意で、リアルな人物関係や状態を通して、見る人の心にはっと刺さる内容を描き出す。例えば、「カルテット」では、唐揚げにレモンをかけるかかけないかというとりとめもない話題をめぐって、主要キャラ4人が長々と論議し、それにより4人の行動の習慣や性格の特徴などが表現されていた。「花束みたいな恋をした」でも、そのような何気ない日常がうまく描き出されている。

「花束みたいな恋をした」では、麦と絹が、映画のチケットを本のしおりにすること、好きなスニーカーのブランドや本、そして展覧会までが同じと、趣味の傾向や思考回路がまるで合わせ鏡のようにマッチし似通っていることから意気投合する。しかし、趣味の傾向が同じだからといって、世界観や人生観、価値観も全く同じであるとは限らない。新潟から上京して、愛する人と生涯を共にすることを願う麦と、東京で生まれ育ち、恋愛にはネガティブで、「始まりはいつも終わりの始まり」と考えている絹は、本質的には全く違う男女だ。そんな二人が、学生から社会人へと変わり、「責任感」や「自立」といった現実的な問題に直面し、それぞれ自分の道を歩むことを決断する。文芸が大好きな絹に対して、麦は営業職で成功することを追求しはじめ、二人が一緒に映画を見たり、音楽を聴いたりしていた時間が、麦が仕事で忙殺され、絹が寂しくそれを待つという時間へと変わってしまう。こうしたすれ違いの生活を送るうちに、二人の関係は冷めていき、最終的に「枯れて」しまう。しかし、一緒に5年も過ごしたため、思い出の場所、思い出の物もたくさんある。映画の最後では、冒頭のシーンに戻り、麦と絹はそれぞれの交際相手との食事中、偶然同じカフェで再会する。二人の言葉や振る舞い、思考回路は依然と全く変わっておらず似通っており、違うことと言えば、それぞれが新しい恋人を連れている点だ。

同映画を見た多くのネットユーザーからは、「恋愛したいなぁ」という声のほか、作品の中で描写されている趣味と世界観、人生観、価値観に関する話題に共鳴する声もたくさん上がり、ネットユーザーから、「生涯を共にできる相手は、一番好きな人とは限らない。でも、自分に一番ぴったりの人であるに違いない」や「ぴったりのタイミングで出会ったぴったりの人は、絶対に大切にしないと」、「恋愛の世界に白黒はない。このような告白、このような別れは、至極当然で、生活とはこういうもの」といったメッセージが寄せられている。恋愛に「心残り」というのはつきもので、花束が枯れるまでの時間がどれほどであっても、互いに相手の生活の中に、少しであっても何かを残すことができれば、それは素敵なことなのかもしれない。(編集KN)

「人民網日本語版」2022年2月25日

昨年1月29日に日本で公開された「花束みたいな恋をした」では、東京で終電を逃したことをきっかけに知り合った菅田将暉演じる山音麦と、有村架純演じる八谷絹による、忘れられない最高の5年の恋が描かれている。映画のタイトルの通り、二人の恋は「花束みたい」に美しいものの、最終的には枯れてしまう。二人の愛が冷めていく現実的なストーリーは、見る人を切ない思いにさせる。

同作品は土井裕泰監督がメガホンを取り、脚本は坂元裕二が手掛けた。坂元裕二は、「東京ラブストーリー」や「カルテット」、「大豆田とわ子と三人の元夫」などの人気作品を手掛けてきた人気脚本家。繊細な描写が得意で、リアルな人物関係や状態を通して、見る人の心にはっと刺さる内容を描き出す。例えば、「カルテット」では、唐揚げにレモンをかけるかかけないかというとりとめもない話題をめぐって、主要キャラ4人が長々と論議し、それにより4人の行動の習慣や性格の特徴などが表現されていた。「花束みたいな恋をした」でも、そのような何気ない日常がうまく描き出されている。

「花束みたいな恋をした」では、麦と絹が、映画のチケットを本のしおりにすること、好きなスニーカーのブランドや本、そして展覧会までが同じと、趣味の傾向や思考回路がまるで合わせ鏡のようにマッチし似通っていることから意気投合する。しかし、趣味の傾向が同じだからといって、世界観や人生観、価値観も全く同じであるとは限らない。新潟から上京して、愛する人と生涯を共にすることを願う麦と、東京で生まれ育ち、恋愛にはネガティブで、「始まりはいつも終わりの始まり」と考えている絹は、本質的には全く違う男女だ。そんな二人が、学生から社会人へと変わり、「責任感」や「自立」といった現実的な問題に直面し、それぞれ自分の道を歩むことを決断する。文芸が大好きな絹に対して、麦は営業職で成功することを追求しはじめ、二人が一緒に映画を見たり、音楽を聴いたりしていた時間が、麦が仕事で忙殺され、絹が寂しくそれを待つという時間へと変わってしまう。こうしたすれ違いの生活を送るうちに、二人の関係は冷めていき、最終的に「枯れて」しまう。しかし、一緒に5年も過ごしたため、思い出の場所、思い出の物もたくさんある。映画の最後では、冒頭のシーンに戻り、麦と絹はそれぞれの交際相手との食事中、偶然同じカフェで再会する。二人の言葉や振る舞い、思考回路は依然と全く変わっておらず似通っており、違うことと言えば、それぞれが新しい恋人を連れている点だ。

同映画を見た多くのネットユーザーからは、「恋愛したいなぁ」という声のほか、作品の中で描写されている趣味と世界観、人生観、価値観に関する話題に共鳴する声もたくさん上がり、ネットユーザーから、「生涯を共にできる相手は、一番好きな人とは限らない。でも、自分に一番ぴったりの人であるに違いない」や「ぴったりのタイミングで出会ったぴったりの人は、絶対に大切にしないと」、「恋愛の世界に白黒はない。このような告白、このような別れは、至極当然で、生活とはこういうもの」といったメッセージが寄せられている。恋愛に「心残り」というのはつきもので、花束が枯れるまでの時間がどれほどであっても、互いに相手の生活の中に、少しであっても何かを残すことができれば、それは素敵なことなのかもしれない。(編集KN)

「人民網日本語版」2022年2月25日

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