チベットが平和解放された日から、中国共産党中央はチベット各民族人民の生存権と発展権に真心をこめて関心を示している。「チベットが長期にわたって立ち後れた状態にあることを決して許さない」という基本的考え方は、毛沢東氏、鄧小平氏、江沢民氏を核心とする3世代の中国共産党中央の指導グループから胡錦涛氏を総書記とする新しい一期の中央の指導グループに至るまで、一貫して確固として堅持されて来た。
1955年2月24日、中国共産党中央はチベット暦の木羊年の新年を祝うための宴会を催した。写真は宴会の前にダライラマ14世テンジン・ギャツォ、パンチェンラマ10世・オルドニ・チュキ・ギェルチェンと言葉を交わしている毛沢東、劉少奇、周恩来の諸氏。
1956年に、毛沢東氏は新年の挨拶のため中南海(中国共産党中央と中国国務院の所在地)を訪れたチベットの上層部の人たちと話し合った際、「私達はみんなが発展することを目的としており、私達は数次の5年計画を経てこの立ち遅れた状況を克服しなければならない」と語った。
中国共産党中央の後押しのもとで、チベットは西康―チベット、青海―チベット自動車道路およびダムション空港を新規建設し、ドディ、ナッギェム発電所を建設し、水利プロジェクトを興し、近代的な工場、銀行、貿易会社、郵便局、農場と学校を創設し、人々にかつてない新たな変化、新しい姿と新しい状況をもたらした。
1989年の中華人民共和国成立40周年記念日の夜、天安門城楼でライディ氏と会見した鄧小平氏。
鄧小平氏は早くもチベットの平和解放の時にチベットに進軍するための諸般の仕事に直接参与し、指導した。改革開放の際、さらに一連のチベットの発展と進歩のステップを速める特殊な優遇政策と措置の制定を指導し、チベットの発展を速めるために全般的な設計と配置をおこなった。