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改革開放30年来、青年の就職観に変化
発信時間: 2008-10-14 | チャイナネット

■配属先指定に服従――計画経済体制の残留期間・1978-80年中期

 

78-80年代中期、計画経済体制の影響から、農村の青年は多くの農民と同様、自由に移動することはできなかった。都市の青年の間では、高等教育が依然として高度に集中された計画管理モデルとして存在し、就職については「統一管理」が実施され、国が包括的に仕事を分配した。この期間、青年の職業選択観は受動的、単一的だった。

職業選択の傾向では、比較的受動的だった農村の青年は、ごく少数の大学試験に合格し運命を切り開いたケースを除けば、大半が父の職業を引き継ぎ、集団で土地を耕作する、あるいは田畑を世帯に配分する「家庭共同生産請負責任制」を担った。いずれも農耕が主体だ。都市部では、大学生でない青年の間でも「後継ぎ」が多数を占めた。父の仕事を引き継ぐというものだ。中・高等教育を受けたインテリ青年は、社会の就業制度、招聘制度が硬直的で柔軟性に欠けていたため、すべては社会の要請に従い、国による配属に従うことが強調された。

職業選択の基準は政治に偏っていた。農村の青年は農業に従事することが基本であったことから、職業選択の余地はなかった。都市の青年は職業を選択するに当たって主に、異なる職業を評価する基準として政治的地位と社会的地位を第一とした。1984年の「中国青年の就職問題」に関する調査で、当時の青年が職業を評価する際に社会的地位、社会的意義、個人の才能の発揮と報酬を重視していることが分かった。

職業選択の意向。政治と工業が重視され、農業と商業が軽視されていた当時、青年が就職するに当たって最も重く見たのが「政治的地位」と「社会的地位」だ。当時流行した「傷痕文学」(「苦しさの訴え」)は、やはり当時の「上山下郷」(学生が農山村の建設に協力する)状況を具体的に示すものであり、それは拭い去ることのできない「傷痕」となっている。大学統一試験が再開されて数年間、さらにより長い期間にわたり、「上山下郷」した青年の「都市戻り」で人口の移動は壮観さを呈した。都市部では、ビジネスは依然として軽視されており、大学生の大半は理系に興味を示し、追い求める理想の職業は「科学者」や「エンジニア」だった。職待ちのごく普通の青年は就職することを第一に考えていた。実際に活路が見いだせなければ、「個人営業」や商業、サービス業などの第3次産業に従事しなければならなかった。

だが、社会が発展するに伴い新たな人材が求められるようになったことで、多くの青年の就職の考え方や方法は様変わりした。

 

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